《 観ずる東京23区 その31 》
ふくろうが棲むまち
東京23区研究所 所長 池田利道
ジョージ、ジュク、ブクロ
イギリスでロイヤルベビー誕生のニュースに、吉祥寺の一部が盛り上がっているらしい。はっきりいって驚いた。今どき、吉祥寺をジョージと呼ぶ人がいるんだ。
漢字で2文字。読みが3音か4音の熟語を基本とする日本語は、ちょっと長いと何でもかんでも3音か4音に省略してしまう。地名もその例外ではない。サンチャ、シモキタ、アキバ、ニシフナ…。しかし、吉祥寺をジョージ、新宿をジュク、池袋をブクロと呼ぶのはちょっと意味が違う。40~50年前、団塊の世代が青春時代を迎えたころに花開いた「若者文化」の落とし子で、いわば一種の業界用語だった。もう少し前の世代に遡るなら、ラクチョウ(有楽町)、ブーヤ(渋谷)、ノガミ(上野)なども同類。当然、時代とともに消えていく。
ただし、池袋を濁点のない「ふくろ」と呼ぶのは公式略称のようである。9月末に池袋西口公園をメイン会場として開かれた「ふくろ祭り」は今年で46回を迎えた。地下鉄東池袋駅前の豊島区立舞台芸術交流センターの愛称は「あうるすぽっと」。「あうる」とはowl。英語でふくろうを意味する。
池袋駅に潜むふくろうたち
夜行性のふくろうは、なかなか姿を捉えにくい。だから、「ブッポウソウとコノハズク」の話も生まれた。そんなふくろうが、池袋駅とその周辺に数多く潜んでいる。
池袋駅東口改札前にある「いけふくろうの像」は比較的分かり易い。いけふくろうの像から丸ノ内線の方に抜けるチェリーロード。ほとんど誰も気づかないが、天井を見上げるとふくろうがいる。
チェリーロードは、中央通路を超えるとアザリアロードと名前を変える。地下鉄有楽町線や西武線の地下改札口に向かう通路だ。その壁面に、3枚のふくろうのレリーフ。中央あたりの柱の上にもふくろうが2匹。地下の通路を足早に通り過ぎる人たちに、ときにはゆっくり歩いてみたらと語りかけている。
池袋駅アゼリアロードふくろうのレリーフ
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東口を地上に出て、駅前広場の斜め前にある東口交番はふくろうの形を摸す。西口前の池袋西口公園にもふくろうのオブジェがある。メトロポリタンホテルホテル前の元池袋史跡公園には、ふくろうが群舞するモニュメント。壁面には、豊島区ゆかりの芸術家たちによる、ふくろうの絵が並ぶ。
ふくろうか、みみずくか
池袋の地名は、袋のような窪地に多くの池があったことに由来する。元池袋史跡公園は、そのうち最も大きかった丸池(袋池)の跡にあり、「池袋地名ゆかりの池」の碑が建つ。池の周りには林が広がり、ふくろうも棲んでいたことだろう。
元池袋史跡公園のふくろうには、耳がついたものがいる。耳がないのがふくろうで、耳があるのはみみずくだと思っていたが、生物学的には必ずしもそうとばかりはいえないようだ。ちなみに、耳のように見えるのは、羽角と呼ばれる飾り羽である。
池袋から地下鉄副都心線でひと駅の雑司が谷。鬼子母神境内にはみみずくのベンチが佇む。隣接する公園にもみみずくの像。台座には「雑司が谷みみずく公園」と記されている。こちらははっきり、ふくろうではなくみみずく。代表的な江戸玩具の「すすきみみずく」は、雑司が谷を発祥の地とする。貧しくて母親の薬が買えない娘の夢の中に鬼子母神が現れ、「すすきの穂でみみずくを作り、それを売って薬代にしなさい」と告げたという逸話が残る。
鬼子母神のみみずくベンチ
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すすきみみずく
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西武百貨店は元京急、東武百貨店は元東急??
池袋は新宿、渋谷と並び東京の3大副都心の一画を占める。ところが区の名前は豊島区。1932(昭和7)年に豊島区が生まれる前は西巣鴨町。かつての池袋は、鄙びた小農村に過ぎなかった。
池袋が大きく発展するきっかけとなったのは鉄道駅ができたこと。だが、ここには「瓢箪から駒」のような落ちがつく。山の手線は品川~赤羽間が最初にでき、他の鉄道と連結して伸びていく。最後に残った池袋~田端間を結ぶにあたり、当初は目白~田端が候補とされた。しかし、地形等の理由からやむなく池袋が選ばれる。1903(明治36)年のことで、このときようやく池袋駅ができた。
そして今、池袋を象徴するのは巨大な2つの百貨店。西口の東武百貨店の売場面積(大規模小売店舗立地法に基づく届出店舗面積)は、メトロポリタンプラザを併せて11万㎡。東口の西武百貨店は、パルコ、池袋ショッピングセンターと併せて9万㎡。東京23区のビッグストアの1位と2位が池袋にある。
西武百貨店は白木屋と京浜電鉄(現在の京急)が共同で設立した京浜百貨店の池袋店(名称は菊屋デパート)を西武が買収したもの。いうなれば元京急。東武百貨店も、隣接する東横百貨店池袋店を買収して巨大店舗になったから、半分は元東急。紆余曲折の連続の末に、現在の池袋の姿がある。
新宿や渋谷と比べ池袋はダサイというのは根も葉もない偏見だとしても、駅と一体化した2つの百貨店があまりに巨大すぎるため、まちのイメージが希薄であることは否定できない。ふくろうは、そんな池袋のまちを繋ぎ合わせるアイデンティティの役割を果たそうとしている。
ふくろうの像は、地元の「梟の樹を創る会」が、寄付金に頼りながらコツコツと設置し続けている。会の名前は「梟の像を創る会」ではなく「梟の樹を創る会」。ふくろうを訪ねてまちを巡り、池袋を再発見して欲しいとの思いが、「像」ではなく「樹」という言葉にこもる。
こんな取り組みが草の根から生まれる池袋。ダサイどころか何ともイカシタまちではないか。