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植物の名がついた駅

 駅名シリーズのその2は、植物の名前が入った駅名を探そう。

 一番多いのは、やはり日本人が愛して止まない「桜」。桜台、新桜台、桜新町、桜上水、桜田門の5駅を数える。同じく、日本人にとって切っても切れない「稲」も5駅。早稲田(東京メトロ)、早稲田(都電)、西早稲田、稲荷町、穴守稲荷。もっとも、“稲荷”はひとまとまりの名詞と考えると、「桜」に首位を譲らざるを得ない。

 松竹梅も、日本を代表する植物だ。「松」は、浜松町、東松原、松陰神社前、松原の4駅。「竹」も、竹ノ塚、竹芝、竹橋、小竹向原の4駅。ただし、「笹・篠」も竹の仲間だと考えると、笹塚と篠崎が加わり「松」を上回る。

 「梅」は、梅ヶ丘、梅屋敷、梅島の3駅で、「桜」、「松」、「竹」と比べるとやや後塵を拝するものの、梅ヶ丘や梅屋敷は東京有数の梅の名所である。「桜」の名がついた駅が必ずしも桜の名所であるとは限らないことを考えると、実態としては決して負けていない。

 他に、複数の駅に名がつく植物をあげていくと、荻窪、西荻窪、井荻の「荻」、竹芝、芝公園、芝浦ふ頭の「芝」、蓮沼、本蓮沼、蓮根の「蓮」、葛西、西葛西、葛西臨海公園の「葛(クズ)」、御茶ノ水、新御茶ノ水の「茶」、荏原町、荏原中延の「荏(エゴマ)」、蒲田、京急蒲田の「蒲(ガマ)」、柴又、新柴又の「柴(小丈の雑木の総称)」となる。複数とはいってもひとつの地名から派生したものが多いが、そんな中で「蓮」の名がつく駅名が多いのは注目に値する。蓮沼は大田区、本蓮沼は板橋区で遠く離れた場所だ。仏教の影響だろうか、もっと食いしん坊にレンコンの産地だったからだろうか。

 椎名町、芦花公園、菊川、堀切菖蒲園、茗荷谷、茅場町、小菅、梶原も植物の名前に繋がる。

 地名となると、桃、柿、榎、桐、栗、杉、椿、牡丹、山吹、小豆などもある。興味があればお探し願いたい。


  <所長・池田利道>

干支の名がついた駅

 東京23区には、干支の動物の名前が入った駅が24ある(駒、鳥を含む)。このうち、圧倒的多数を占めるのが「午(馬または駒)」。馬がいかに身近でかつ有益な動物であったかを雄弁に物語っている。一気にあげると、高田馬場、馬喰町、練馬、東武練馬、練馬高野台、練馬春日町、馬込、西馬込、新馬場、馬喰横山、大井競馬場前、小伝馬町、駒込、本駒込、駒場東大前、駒沢大学。合わせて16駅を数える。

 馬以外では、「丑(牛)」と「酉(鳥)」が3駅ずつ。牛が、牛田、牛込柳町、牛込神楽坂。鳥は、千鳥町、大鳥居、飛鳥山。残る2つは、辰と巳がひとつになった辰巳と虎ノ門である。

 荷物を運ぶ馬を“駄”という。とすれば、千駄ヶ谷、千駄木も馬に加えていいのかも知れない。

 地名にまで広げても馬の優位は変わらない。駅名とダブるもの以外に、日本橋大伝馬町(中央区)、馬場下町(新宿区)、上馬(世田谷区)、下馬(世田谷区)、駒形(台東区)、東駒形(墨田区)がある。

 縁起の良さでは干支の中で随一の「辰」は、竜泉(台東区)、辰沼(足立区)、千住龍田町(足立区)。駅名では「辰」と並ぶ「酉」が鳥越(台東区)。駅名にはないものの、地名では健闘しているのが「申(猿)」で、猿江(江東区)と猿楽町(千代田区と渋谷区)がある。

 ちなみに、干支以外の動物の名がついた駅名となると、「亀」が亀有、亀戸、亀戸水神の3駅。「鴨」が、巣鴨、西巣鴨、巣鴨新田の同じく3駅。鳥の仲間では、他に鴬谷、鷺の宮、鵜の木、千歳烏山もある。目白、目黒(中目黒も)は、同音異義語でメジロ、メグロという鳥がいるから番外というところか。哺乳類では熊の前。魚類では鮫洲も動物の仲間だ。

 地名になると、鹿、狸、鷹、鶴、隼、白鳥、さらには牡蠣もいる。どこに潜んでいるかを探しながら、その名がついた由来まで調べて行くと、東京がいかに動物と共生し合うまちだったかを改めて知ることができるだろう。


  <所長・池田利道>

23区の“背番号”

東京都の特別区部には23の区がありますが、この各区を列記する場合には、その順番が決まっています。トップは千代田区です。次いで、中央区、港区、新宿区…と続いていきます。そして、ラストの23番目が江戸川区となります。

東京都が公表する統計データを区別に集計して示す時なども、この順番になっていることに気づくと思います。

この順番、明治時代から昭和初期まで続いた旧15区(後に35区に拡張、第二次大戦後、これが23区に整理統合される)時代の名残を残すものです。

旧15区時代には、皇居のある麹町区(現在の千代田区の一部)を起点として、時計回りに「の」の字を書くように区の順番が定められていました。麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川という順番です。

さて、15区をひと回りしたら、次に、その外側を取り巻くように存在していた郡部でもうひと回りします。これは、荏原郡から始めて、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡という順番になります。

1932(昭和7)年10月1日、「大東京市」が成立します。従前の15区に加えて、周辺5郡82町村を東京市に編入し、市域は大幅に拡張します。これに伴って、新たに20区が設置され、それまでの15区と合わせて35区となりました。

35区時代になった後も、区の順番に関する原則は変わりませんでした。、まず旧市域で「の」の字を書きます。これが一巡したら、新市域の品川区を起点に、目黒、荏原、大森、蒲田、世田谷(以上旧荏原郡)、渋谷、淀橋、中野、杉並(以上旧豊多摩郡)、豊島、滝野川、荒川、王子、板橋(以上旧北豊島郡)、足立(以上旧南足立郡)、向島、城東、葛飾、江戸川(以上旧南葛飾郡)と旧郡単位でひとまわり大きな「の」の字を書くわけです。旧郡域の中では、旧市域に近接している区から離れている区へという順が原則です。

そして、現在の23区、トップはやはり、麹町区を前身とする千代田区(旧麹町区・神田区)です。ここを起点に「の」の字を書いて、江東区(旧深川区・城東区)まで行きます。ここまでが「旧市域」に当たるところ(一部「新市域」含む)ですね。

このあと、「新市域」です。これは品川区(品川、荏原)からスタートして「の」の字を書き、ラストに江戸川区が来ます。

こうして定まっている現在の23区の順番は、次のようになっています。

【1】千代田区(麹町区・神田区)
【2】中 央 区(日本橋区・京橋区)
【3】港  区(芝区・麻布区・赤坂区)
【4】新 宿 区(四谷区・牛込区・淀橋区)
【5】文 京 区(小石川区・本郷区)
【6】台 東 区(下谷区・浅草区)
【7】墨 田 区(本所区・向島区)
【8】江 東 区(深川区・城東区)
【9】品 川 区(品川区・荏原区)
【10】目 黒 区
【11】大 田 区(大森区、蒲田区)
【12】世田谷区
【13】渋 谷 区
【14】中 野 区
【15】杉 並 区
【16】豊 島 区
【17】北 区(滝野川区、王子区)
【18】荒 川 区
【19】板 橋 区(板橋区)
【20】練 馬 区(板橋区)
【21】足 立 区
【22】葛飾区
【23】江戸川区

  ※( )内は旧区名

  <理事・研究員 小口 達也>

【地方公共団体】

 「地方自治体」という言葉は日常よく耳にするところですが、これは、法令上の正式な呼び方ではなく、法律用語としては「地方公共団体」です。
 
 都道府県や市町村、そして、特別区である東京の23区、これらはみな自治体であり、すなわち、地方公共団体ということになります。
 
 ただ、地方公共団体は自治体よりもう少し広い範囲を含みます。地方自治法では、2種類の地方公共団体を定めていますが、一つが「普通地方公共団体」、もう一つが「特別地方公共団体」です。都道府県や市町村は前者、23区(特別区)は後者ということになります。
 特別地方公共団体には、特別区のほかに「地方公共団体の組合」「財産区」「地方開発事業団」といったものがあります。特別地方公共団体は特定の目的のために組織された団体と言えますが、これにふくまれる特別区(23区)は、実体として、普通地方公共団体と変わるところがありません。
 
 地方公共団体は、国の一定地域を存立の基礎とし、その地域内の居住滞在者に対して法の認める支配権を行使する団体であり、いずれも法人格を持ちます。
 
 最近、地方公共団体は住民の統御する政府であり、国 (中央政府)に対する地方の政府であるとして、「地方政府」という呼び方も生まれています。
 

【特別区】

 私たちの対象とする東京23区、これがまさに「特別区」です。
 
 23区は、地方自治法上「特別区」と呼ばれますが、法的な性格は「特別地方公共団体」ということになります。特別区は 1975 年 4 月以来直接公選となった区長と区議会を有して、「市」に準ずる権能を持つとはいえ、都と特別区の関係は、都道府県と市町村とのそれとはまったく同じではありません。
 
  これは、地方自治法が、都が法令および条例、規則に基づき 23 区の存する区域においては、市としての権能を持つことを規定しているためです。その理由として挙げられるのは、大都市行政の一体性ということです。
 
  要するに、特別区は「市」と同じような、事務事業、人事、税財政上の権限を持たないのです。その意味で、特別区は“不完全な自治体”であったと言えるかもしれません。
 
  戦後の民主化推進が転換点を迎えるころの1952(昭和27)年、地方自治法が改められ、それまで行われていた区長の公選が廃止されます。その際、区長は区議会が都知事の同意を得て選任されるようになりました。また、区の事務は法に列挙されたものに限られ、それ以外はすべてとの事務となります。さらには、区への都職員配属制度が導入され、都職員が区で働くようになりますが、それに対して、区長の人事権が及ばないといった中途半端な形となりました。
 
  こうしたことから、都と特別区の名伊田ではく自治権をめぐって紛争も起こりました。高度成長による東京への人口集中、都市環境の激変などから、都が府県と市の権能を併せ持って、区民の生活環境整備を行うことにも限界が見え始めます。
 
  その中で、区議会による区長公選回復運動も巻き起こります。やがて、それは、区民からの強い要望の表れとしての運動として展開され、ついに、1974(昭和49)年、地方自治法は再び改正されます。これが施行される翌75(昭和50)年、区長の直接公選性が復活しました。
 
  それによって、区は権限面でも市並みの自治体となり、人事権を持つ公選区長のもとで、原則として、市と同様の事務を処理するようになります。また、人事委員会や保健所設置に関しては、一般の市よりも強い権能さえ持ちます。しかし、上下水道、精巣、消防事務は都の事務事務となっているなど、まだまだ変則的な形をとどめているのが現状です。
 

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