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東京23区の年齢は?

 第二次世界大戦が終わって間もない1947(昭和22)年3月15日、戦前の東京市(1943年に廃止)から続いている35区は22区に再編成されます。戦災によって各区の人口には著しい格差が生まれており、これを調整しなければ復興も進まないといったことが理由にありました。
 
 また、戦後の民主化の中で、地方制度が改められ、自治権も拡大されたため、各区が自治体としての機能を十分発揮するためには、それなりに充実した基盤が必要とされたこともあります。
 
 同じ年の8月1日、今度は、その22区のうちの一つ、板橋区から練馬区が独立します。ここに至って、今の23区が形作られたわけです。
 
 戦前の35区は、基礎自治団体である東京市や東京都の下部組織でしたが、さりとて、単なる行政区ではなく、区会も設けられ、独自の財産・営造物の維持管理など固有の事務を行い、法人格を持った独特の存在として認められてきました。そうした経緯もあったためか、戦後の地方自治法の下で、新生「23区」は「特別区」として発足し、今日に至っているのです。
 
 いずれにせよ、東京23区は昭和22年生まれ、“団塊の世代”だったのですね。


  <理事・研究員
小口 達也>

 
 

「東京市」って?

 どこにあると言われても、今、地図を広げたところで、どこにも見つかりません。ただ、かつては、確かにあったのです。場所は、今の23区に相当する区域です。
 
 東京市だけではなく、「東京府」もありました。ちょうど、今でも、大阪府があり、その中に大阪市がある。京都府があり、京都市がある。それと同じように、東京府東京市があったのです。

 やがて、第二次世界大戦中の1943(昭和18)年に、東京府は「東京都」となり、東京市は消滅します。
 
 東京市が誕生するのは、1889(明治22)年5月1日のことです。これより先、1878(明治11)年には、東京府に「15区」が置かれていました。これが、今日の23区の母体を成すものですが、この15区は、郡区町村編制法によって設けたれたもので、現在の千代田区、中央区、港区、新宿区(一部)、文京区、台東区、墨田区(一部)、江東区(一部)の範囲でした。つまり、今の23区よりはかなり狭い区域ですね。
 
 その15区の範囲に、市制町村制の施行によって、「基礎的自治団体」としての東京市が設置されたのです。その後も存続します。このとき、周辺6郡には町村合併によって85の町村が成立しました。15区はその後も、東京市の下部組織として存続します。
 
 東京市は、「憲政の神様」と讃えられた尾崎行雄(咢堂)、「大風呂敷」の異名をとった後藤新平など、幾多の歴史上のスターたちが市長を務めています。
 
 昨、2011年は、東日本大震災という大災害が日本を襲いました。今からおよそ90年前の1923(大正12)年にも、同じく忌まわしい大震災がありました。関東大震災です。その震災に見舞われたこの東京市も、死者10万人といわれる大きな犠牲を出しました。
 
 その震災からの復興が進む1932(昭和7)年、一挙にその市域を拡大します。このとき、およそ今の23区に相当する市域となりますが、区は35区に分かれました。市域の拡大とともに、それまでの15区から20区も区が増えたわけです。
 
 35区を擁する東京市も、第二次大戦の戦禍に呑みこまれていきます。戦時中の1943(昭和18)年、「東京都制」という法律によって、東京府が東京都となったのは、前述のとおりですが、このとき、東京市は廃止され、消滅するのです。その下部組織であった35区のみが残りました。


  <理事・研究員 小口 達也>

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