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針供養 《 観ずる東京23区 その39 》

 《 観ずる東京23区 その39 》


           針供養




                       東京23区研究所 所長 池田利道




「もったいない」がルーツ

 大正生まれの母は裁縫が好きで、足踏みミシンを始終かたかた鳴らしていた。お洒落な服が手軽に買えるようになった今、家庭で裁縫をすることはめっきり少なくなった。

 『レジャー白書』によると、2012年の1年間に洋裁・和裁をした人(ただし、その99%が女性であるため、以下は女性に限ったデータを記す)は17%。およそ6人に1人に止まる。しかも年齢による差が大きい。70代では3割近くにのぼるのに対し、10代では1割に満たない。今どきの若い人たちにとって、針を持つのはボタンが取れた時くらいになっているようだ。

 だから、針供養という行事も遠い存在になった。折れたり曲がったりした針を豆腐に刺してねぎらう針供養は、西日本では12月8日に、関東や東北など東日本では2月8日に行われることが多い。12月8日は1年の農作業を終える「事納め」の日。2月8日は農作業を始める「事始め」の日。この日は針仕事を休んだことから、古い針に感謝する風習が生まれたという。

 針供養にはもうひとつの意味がある。あらゆるものに神性を感じる日本人は、古くなった道具には「九十九(つくも)(がみ)(付喪神)」と呼ばれる神が宿ると考えた。使えなくなった道具を粗末に扱うと祟りにあう。というよりは、できるだけものを大切にし、いよいよ役に立たなくなったら、これまでの働きに感謝する。針供養は、「もったいない」の精神が生み出した先人たちの思いの結晶である。


淡島様に見守られ

 広く、大きく、奥深い東京。東京では、今も針供養の伝統がしっかりと受け継がれている。

 2月8日。あいにく朝から雪。にもかかわらず、浅草寺の淡島堂には参拝者が集まり、大豆腐に役目を終えた針が供養されていた。境内の「針供養の塔」は、大東京和服裁縫教師会が裁縫に関わる多くの人々の協賛を得て建立したものだ。

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  大豆腐に供養される針
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 世田谷区代沢の森巌寺でも針供養が行われる。江戸時代にまで遡る歴史を持ち、区の無形民俗文化財にも指定されている由緒正しき針供養である。寺の南を走る道路の名前は淡島通り。一番近い交差点は淡島交差点。針供養が行われるのは本堂ではなく、浅草寺と同じ淡島堂。針供養は、「淡島」がキーワードのようだ。

 淡島信仰と針供養の繋がりには諸説がある。そんな中から選りすぐりのエピソードをひとつ。

 淡島様は、住吉明神のお后だった。ところが、婦人病を患い離縁されてしまう。悲しみにくれる中、婦人病に悩む人々を救おうと誓いを立て、やがて社会的に弱い立場にあった女性の守り神となる。針仕事は、かつては女性の大事な役目。こうして、淡島様は裁縫の神様になった。


消えゆく伝統を残す知恵

 東京の針供養というと、新宿2丁目の正受院も欠かせない。次第に強くなる雪の中を、次々と人が訪れてくる。甘酒が振る舞われ、模擬店も出る。例年なら、正受院のシンボル「奪衣婆(綿のおばば)」のレプリカを安置した厨子をきらびやかな衣装の女性が担ぎ、寺の周りを巡るお練り行列も繰り出すとか。

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  正受院「奪衣婆」
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 正受院の針供養は、淡島信仰とは直接の関係がない。では、なぜここで東京一の賑わいをもつ針供養が行われているのか。答は、境内に立つ針塚と男性の胸像にある。像は、和裁界で唯ひとり人間国宝となった小見外次郎。塚は、同じ新宿区市谷に本拠をおく東京和服裁縫協同組合が、1957(昭和32)年に建てたもので、針供養の行事も同組合が主催する。

 ちなみに、行事を盛り上げる若い女性たちは、正受院の裏手にある岩本和裁専門学校の生徒さんとのこと。小見外は、晩年ここで和裁の指導にあたった。

 地味な針供養の行事を楽しいイベントに演出し直した影には、きっと知恵者がいたのだろう。換骨奪胎と批判するのはたやすい。しかし、消えゆく伝統が内に秘める思いを残すには、時と状況に応じた変化も必要となる。それは、まちづくりの教科書の第1章に他ならない。

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  正受院の針塚
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クール&スマートウェア

 マイボイスコム㈱が実施した『着物に関するアンケート調査』によると、着物を着た経験のある人は7割を超えるものの、その頻度は「5年に1回以下」が過半数を占め、「これまでに1回しか着たことがない」という人も2割に及ぶ。

 ただしこの調査、「ゆかた、作務衣、甚平、丹前などは除く」とある。ゆかたや丹前はともかくとして、蒸し暑い夏の夜、風呂あがりに着る甚平の快適さはこたえられない。着やすく、動きやすい作務衣のファンも多い。冬の定番となると袢纏。部屋全体を暖めるエアコンやストーブと比べ、省エネ性に優れ、「頭寒足熱」の理にもかなった炬燵との相性は抜群だ。最近のステテコブームもまた然り。風土に適した和の装いを、私たちは決して忘れていない。

 STAP細胞を作り出した小保方晴子さん。割烹着の研究姿を見て、何と機能的で合理的かと感心した。裾や袖口がひらひらした西洋生まれの白衣と比べ、細かな動きにも大きな動きにもフィットする割烹着が、世紀の発見を裏で支えたとは言い過ぎだろうか。

 最近流行りの言葉を使えば、クールでスマート。国会議員の先生方には、国会開会日に和服を着る「和服振興議員連盟」なるものがあるらしい。それはそれで結構なのだが、どこかパフォーマンスの感も否めない。晴れ着もいい。しかし、和装の素晴らしさはむしろ普段着の中に詰まっている。

 それやこれやの思いを胸に、吹きすさぶ粉雪の中、針塚にそっと手を合わせた。