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千住七福神  《 観ずる東京23区 その37 》

 《 観ずる東京23区 その37 》


           千住七福神




                       東京23区研究所 所長 池田利道




新春福巡り
 
 「一富士、二鷹、三茄子(なすび)」とは、初夢の縁起物。茄子がよく分からない。実はまだ続きがあって、「四扇、五煙草、六座頭」というらしい。扇は末広がり。煙草は煙が天に上るから。では、座頭は? となって茄子に落ちがつく。どちらも「毛がない(怪我ない)」。

 初夢は1年の吉凶を占う。今は廃れてしまったが、よい初夢を見ることができるようにと、七福神が乗った宝船の絵を枕の下に入れて眠る風習があった。宝船の絵には、「永き世の 遠の眠りの みな目覚め 波乗り船の 音の良きかな」の歌が書き添えられていた。この歌は回文になっていて、上から読んでも下から読んでも同じ。いやはや、よく考えたものである。

 お正月に七福神を巡れば、もっとご利益があらたかだろう。江戸時代から続く谷中七福神をはじめ、東京には各地に七福神巡りがある。そんな中で、千住七福神はまち歩きの楽しさとセットになっている点がお勧めだ。北千住駅を起終点に総延長約6キロ。コースも手頃である。


「キングオブ銭湯」経由「お化け煙突跡」へ

 北千住駅の西口。日光街道(国道4号)と並行して通る商店街が旧千住宿。宿場町通り商店街には、本陣跡の石碑が残る。その少し先を左に曲がった突きあたりが、大黒天が祀られている千住本氷川神社。大黒様は福の神。七福神巡りのスタートにふさわしい。

 宿場町通りから宿場通りへと名を変えて続く商店街沿いには史跡や老舗が多い。だが、今日はお正月。縁起をかついで後戻りは避け、神社前の小路を抜けてサンロード商店街に出る。ここにも、昭和ヒトケタ生まれの飴屋が現役だ。『三丁目の夕日』の世界に迷い込んだような店構えに、しばし見とれてしまう。国道を越えると右手に大黒湯。千住は銭湯の宝庫で、七福神巡りのコース上だけでも4軒の銭湯に出合う。なかでも大黒湯は、「キングオブ銭湯」の異名をもつ銭湯の雄である。

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  キングオブ銭湯「大黒湯」
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 大川町氷川神社は、荒川の土手の手前にたたずむ。ここは布袋様。境内には、小ぶりながら富士塚もある。三番目の元宿神社は寿老人を祀る。寿老人はボケ封じの神様とのこと。特に念入りに拝んでいこう。

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  元宿神社の寿老人
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 元宿神社から、程なくして墨堤通りに出る。コースはここで左折だが、真っすぐ進んで隅田川の川辺に寄り道するのも楽しい。川の手前には帝京科学大学。向かいは東京電力の用地。この一帯は、かつて千住火力発電所があった場所だ。発電所の4本の煙突は、見る向きによって1本に見えたり、2本に見えたり、3本に見えたり。「お化け煙突」と呼ばれた千住名物のひとつで、常磐線や京成電車の車窓からは、進むにつれて煙突の数が増えたり減ったりしたという。


疲れた体を蔵で一服

 墨堤通りに戻って歩くこと1キロ余り。千住神社に辿りつく。創建は平安時代。八幡太郎義家が本陣を敷いたと伝えられる由緒をもつ。境内の願かけ恵比寿は、なでる場所でそれぞれのご利益がかなう。迷わず選んだのは鯛。願ったのは、もちろん商売繁盛。

 日光街道に出れば、すぐに八幡神社。祀られている七福神は毘沙門天。小さな社だが、やはり平安時代にまで遡る歴史を誇る。墨堤通りとの交差点を渡った千住河原町稲荷神社には福禄寿。ここはもう千住やっちゃ場で、市場の産土神がルーツとされる。

 稲荷神社を裏から出て、商店街を左、墨堤通りを右、公園の角を左。というと難しそうだが、「千住七福神」の幟を辿っていけば迷うことはない。締めの弁天様は仲町氷川神社。社殿の前に茅の輪くぐりが設けられている。左、右、左と八の字に回って穢れを祓う。これまた縁起ものだ。

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  仲町氷川神社の茅の輪
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 東京芸大千住キャンパスの前を通り、線路手前の小路を抜けるとゴールの北千住駅。その前に再び寄り道をして路地に入り込むと、蔵を改装した喫茶店が潜む。千住は蔵のまちでもある。蔵巡りも、千住探訪の魅力のひとつだ。

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  蔵を改装した喫茶店
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学生街に望む未来

 七福神巡りのコースで出合った帝京科学大と東京芸大の他にも、千住には放送大学の千住学習センター、東京未来大学、東京電機大学の5つの大学がある。帝京科学大、東京未来大、東京電機大の3校は、千住に本部を置く。本部を置く3校の開学は2007~2012年。歴史は新しい。

 かねてより東京東部の交通結節点だった北千住は、2003年の半蔵門線乗り入れ、続く2005年のつくばエクスプレスの開業によって一大ターミナルとなる。レトロな面影を色濃く残すまちが、東京の注目スポットへと変貌を遂げたことを物語るように、千住エリアの人口は増加を続けている。大学の相次ぐ開校も、この流れの中にある。

 かつて、「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律」なるものがあった。制定されたのは、高度経済成長が始まろうとする1959(昭和34)年。「工業等」の「等」とは大学。工場と大学が十把一絡げというのは何とも乱暴というほかないが、ともあれこの法律によって、東京23区をはじめとする首都圏中心部で大学の新設は厳しく制限された。

 ようやく2002年になって法律は廃止される。その背景には、少子化が進み、郊外の大学では学生が集まらないという深刻な問題があった。しかしそれ以上に、大学とは閑静な環境の中で学問をしていればよいものではないという事実がある。生きたまちと肌で触れ合うことによって、はじめてかけがえのない社会勉強を積むことができるのだ。

 フレッシュな感性に満ちた学生たちは、千住というまちと出合い、何を学び、何を生み出していくのだろうか。過去の誤りを噛みしめつつ、その先に拡がる大いなる未来に、今改めて期待したい。