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山の端いと近う  《 観ずる東京23区 その34 》

 《 観ずる東京23区 その34 》


           山の端いと近う




                       東京23区研究所 所長 池田利道




計算され尽くしたイチョウ並木

 「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに」。今日の今日まで、「秋になると空気が澄んで、山の端が近く見えるようになる」という意味だと思い込んでいた。

 改めて調べ直してみると、これは異説らしい。一般に正しい訳とされるのは、「夕方になって、夕日が山の端に近づく」様子を表わしているとのこと。何とも即物的で味気がない。

 『枕草子』は知の文学、『源氏物語』は情の文学というのも納得しかねる。それは、随筆と小説の違いだろう。『源氏物語』を感情の文学と呼ぶなら、『枕草子』は感性の文学。とするなら、近づくのは夕日という物体ではなく、自分の気持ちと捉える方が、はるかに趣が深い。

 秋晴れに誘われて、向った先は神宮外苑のイチョウ並木。まっすぐに延びる道路に沿って、黄金に色づき始めたイチョウの大木が整然と並ぶ。東京の秋を代表する並木路である。

 並木道の真正面には、丸いドーム屋根の聖徳記念絵画館。明治天皇の業績を描いた数々の絵画が収められている。

 イチョウ並木は全長約300m。青山通りとの交差点から絵画館までは800m。空気が澄んで「いと近う」見えるはずなのに、もっと遠くにあるように感じられる。実はこれ、演出された目の錯覚である。イチョウの木は、青山通りから奥に進むに従って樹高が低くなる。その結果遠近法が強調され、実際よりも遠くにあるように見えるのだ。

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 神宮外苑イチョウ並木と絵画館
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東京のビスタ景

 道路の奥にシンボリックな建造物を配置する都市計画手法を「ビスタ景(ビスタ景観)」と呼ぶ。欧州の都市ではお馴染だが、道路は自動車交通を円滑に処理するものというアメリカ仕込みの合理主義の考えが強いわが国では、ビスタ景が重視されることがなかった。景観がまちづくりのテーマとなるのは、ごく最近のことである。

 神宮外苑のイチョウ並木と絵画館は、そんなわが国の貴重なビスタ景だ。もっとも神宮外苑も、当初はイチョウ並木と絵画館の間は何もない大きな広場で、ビスタがより一層強調されていた。太平洋戦争後、神宮外苑を接収した米軍は、まさにアメリカ的合理主義の発想で絵画館前に球技場を設けた。今、この旧米軍球技場は軟式野球場に代わり、草野球のメッカとなっている。野球愛好家の方々には申し訳ないが、都市景観の視点に立つと何とも残念というしかない。

 他のビスタ景の例を東京で探すなら、国会議事堂と迎賓館が思い浮かぶ。とはいっても、休日には歩行者天国となる外苑のイチョウ並木とは異なり、どちらも車道優先で、歩行者はビスタ線の隅っこに追いやられてしまう。

 神宮外苑と並び、歩行者がビスタを存分に楽しむことができるもうひとつの場所は、真ん中にゆったりとした歩行者空間を配した行幸通りから見た東京駅の眺めだろう。ただし、最長でも距離は500mくらいしかなく、かつ東京駅があまりにも巨大であるため、中途半端は否めない。

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 行幸通りから見た東京駅
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現代の「城あて」

 実はわが国にも、ビスタ景の考えは古くから存在していた。街路の先にシンボリックな山を配置する「山あて」の手法である。防衛上、行き止まりや曲がり角の多い鍵の手街路を駆使した城下町に迷い込んだ時、小路の先にふと城が見通せ、今どこにいるかが分かることがある。これを「城あて」という。「城あて」も「山あて」から派生した景観形成の手法である。

 城もなくなり、山も見通せなくなった東京でも、思いがけない眺めに出合うことがある。ビスタの先にあるのは東京タワー。東京の都心には、「東京タワーあて」を体感できる場所が少なくない。
 例えば六本木。六本木の交差点からはビルしか見えないが、外苑東通りを進むと右から徐々に東京タワーが姿を現し始め、やがて真正面に東京タワーと向き合う。

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 外苑東通りと東京タワー
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 東京タワーよりはるかに背が高い東京スカイツリーは、のっぺりとした下町に建つせいか、姿が見えても東京タワーほどの感動を呼ばない。それでも、いやだからこそ、より絶景を求めるスカイツリーの眺望スポット探しは、花盛りの感がある。

 なかでも錦糸町駅前から北に延びる道は、その名もズバリ「タワービュー通り」。足もとまで見通せるスカイツリーの姿は迫力満点。にもかかわらず、何故か心に迫ってくるものがない。物理的には、電線がどうしようもなく邪魔だ。しかし、もっと奥深い何かが欠けているように思えてならない。

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 タワービュー通り
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「おもてなし」が滲み出す景色

 復原された東京駅の景観。裏に回れば、ここにもお寒い現実がある。東京23区で駅前への放置自転車・バイクが一番多いのは赤羽駅。ワースト2位が東京駅である。

 駅前に自転車を放置する人にも、それぞれに言い分があるのだろう。しかしそれは、自分勝手な言い訳でしかなく、単に常識を欠いているだけだ。常識は、英語では“common sense”だから、都市生活者としてのセンスに欠けると言い換えてもいい。

 都市景観は、行政が整備するものではない。他者を気遣う小さなホスピタリティが紡ぎ合わさって、はじめて心を打つ景観が生み出される。そんなホスピタリティの心もまた、都市に住む上で欠かせないコモンセンスである。首都の玄関口に自転車が放置されている国が、「おもてなしの国」だなどと自称するのは、はっきりいって恥ずかしい。

 タワービュー通りでは、電線の地中化工事が始まり出している。電線が見えなくなったとき、代わってどんな心が滲み出してくるのだろうか。楽しみにして待つことにしよう。