記事一覧

芝居町の秋 《 観ずる東京23区 その33 》

 《 観ずる東京23区 その33 》


           芝居町の秋




                       東京23区研究所 所長 池田利道



江戸随一の繁華街

 城下町では、同業者を一か所に集めて住まわせた。大工町、呉服町、桶屋町、肴町、塩屋町…。全国でお馴染の地名は、こうして生まれる。東京23区にも、神田に鍛冶町、紺屋町、日本橋に馬喰(博労)町、牛込に箪笥町などが残る。日本橋人形町も、人形を製造・修理する人形師や人形遣いが多く住んだことに由来する。

 人形町通りと甘酒横丁に居並ぶ老舗をあげれば切りがない。江戸時代創業の玉ひで(親子丼)、玉英堂(京菓子)、初音(甘味)、京扇堂(扇子)、うぶけや(刃もの)、岩井つづら店。明治・大正生まれなら、黄金芋の壽堂、豆腐の双葉、京粕漬けの魚久、たい焼きの柳屋、ぜいたく煎餅の重盛永信堂、三味線のばち英などなど。昭和ヒトケタも、ここではまだ若造だ。老舗に混じって、ファストフードやチェーン店のオンパレードであることは、ここがオフィス街であることを物語っている。そうかと思うと、横丁や裏路地には八百屋が残る。人形町のバイタリティは半端ではない。

 江戸時代の人形町は、今よりもっと繁華なまちだった。町奉行公認の歌舞伎小屋である江戸三座のうち中村座と市村座があり、人形浄瑠璃小屋も多数集まっていた。操り人形芝居の結城座や各種の見世物小屋も軒を連ねていたらしい。当時の芝居見物は芝居茶屋とセットになっていたから、賑わいは現代人の想像をはるかに超えていたことだろう。

 明暦の大火後に裏浅草に移転するまで、吉原もこの地にあった。場所は人形町通りの北東あたり。人形町通りと並行して走る大門通りが、かろうじてその名残りをとどめている。


幸せ色が似合うまち

 人形町の秋は、てんてん祭から始まる。時は体育の日。ハッピーマンデー制度が適用されるまで、体育の日は10月10日。10/10だから「てんてん」。それだけではない。人形町といえば水天宮。水天宮といえば安産の神様。「とつき(十月)とおか(十日)」にちなんで「てんてん」である。

 水天宮の門前にある人形町は、大きなお腹をいたわるカップルや、お宮参りの着飾った家族連れの姿が目立つ。子宝を授かった人たちは、どの顔も幸せ一杯だ。

 ところが、今年はそんな姿が少ない。社殿建て替えのために、今年の3月から水天宮は明治座近くの仮宮に移っていた。伊勢神宮だけでなく、水天宮も遷宮していたとは。新社殿の完成は、2016年の予定とのことである。

ファイル 58-1.jpg
  水天宮仮宮
   ※画像はクリックで拡大。


人形とべったら漬け

 てんてん祭が終わると、次は人形市。人形町通りの両側にズラリとテントが並ぶ。その数は50を優に超え、人形町が文字通り人形で埋め尽くされる。豪華な雛人形の隣には、ちょっと不気味なアンティークドール。可愛らしいぬいぐるみも、キューピーさんもいる。

 今年で8回目を迎えた人形市は、10月17日~19日の3日間にわたって開かれた。最終日の19日は土曜と重なったこともありとくに人手が多い。

ファイル 58-2.jpg
  人形市
   ※画像はクリックで拡大。

 人形町交差点を過ぎるとまちは閑散とした週末のオフィス街へと様相を変える。ところが、堀留町の交差点を越えて椙森神社まで来ると、再び喧騒がよみがえった。毎年10月の19、20日といえば「べったら市」だ。小伝馬町の寶田恵比寿神社から椙森神社の間に、およそ500店の屋台がひしめく。たかが大根の漬物というなかれ。たっぷりの麹とアメに漬け込んだ、東京の伝統ある食材である。

 週替わりで続くイベントの最後を締めくくるのは、10月末のハッピーハロウィン。ハロウィンが終わると、人形町は冬支度を始める。

ファイル 58-3.jpg
  ベったら市
   ※画像はクリックで拡大。


人形師の伝統

 全国の人形製造業の事業所数は640。出荷額は290億円。出荷額ベースでみると、このうちの4割にあたる117億円が人形のまち岩槻を擁する埼玉県に集中している。2位はやはり雛人形を地場産業とする静岡県(33億円)で、東京都(27億円)が3位。埼玉県に比べると4分の1以下に過ぎないとはいえ、京人形の京都府(13億円)や博多人形の福岡県(12億円)を上回る。東京は、全国でも有数の人形生産地である。

 ただし、上位に並ぶ各県と東京は少し意味が異なる。東京最大の人形製造業の集積地は葛飾区。ここは、セルロイドに始まり、ソフトビニールやプラスチックへと進化した大量生産人形の製造拠点だ。その代表がリカちゃん人形。タカラトミーは葛飾区にある。

 東京から、ましてや人形町から、人形師の伝統は消えてしまったのだろうか。ため息をつきながら横丁に入ると、ジュサブロー館の看板がひっそりと佇む。現代の人形師、辻村寿三郎氏のアトリエ兼人形教室である。人形のまちの歴史は、脈々と受け継がれていた。

ファイル 58-4.jpg
  ジュサブロー館
   ※画像はクリックで拡大。


 人形町の魅力を語るなら、古きよきものが現代にアレンジされて息づいていること。懐かしさと新しさが同居するこのまちには、伝統的なものも現代的なものも何でも飲み込んでしまう奥深さがある。そしてそれは、東京の本質的な魅力のひとつの象徴でもある。

 地方都市活性化の取り組みを「ミニ東京」化を嘆くことから出発するのは間違っていない。だからといって、歴史だ、伝統だ、文化だと、映画のセットのような中で押しつけられるのも鼻につく。「成功事例に学ぶ」というのなら、一大成功事例である東京の魅力の本質にもっと真摯に向き合うべきでなはいだろうか。規模の違いを考えると、はっきりいって難問である。だが、地方の未来を描くには、どうしても避けて通れない課題のように思われる。