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水道の水を産湯に浴びて 《 観ずる東京23区 その25 》

 《 観ずる東京23区 その25 》


          水道の水を産湯に浴びて




                       東京23区研究所 所長 池田利道




江戸の井戸は水道

 「金の魚(しゃち)虎(ほこ)をにらんで、水道の水を産湯に浴びて、御膝元に生まれ出ては…」。山東京伝の洒落本『通言総籬』は、粋でいなせな江戸っ子の姿をこんな書き出しで謳いあげた。読み進むと、「隅水の鮊も中落を喰ず」の一節。隅田川で獲れた白魚も、脂っこい中落ちなんて食べなかった。大トロに舌鼓を打っているようでは、江戸っ子失格ということか。

 それはさておき、今回のテーマは「水道の水を産湯に浴びて」のくだり。時代劇では、長屋の井戸端でおかみさんたちがお喋りに夢中という場面をよく目にする。あれは井戸ではなく水道。井戸を掘ってもしょっぱい水しか出てこない江戸のまちには、水道網が完備されていた。

 最初の本格的な水道は、1630年ごろ(寛永年間)に完成した神田上水。文京区関口に設けられた大洗堰で取水し、水戸屋敷(現・小石川後楽園)を経た後、地中に埋められた「樋」と呼ばれる送水管で江戸市中に配水した。いきなり難関の神田川越えは、川の上に「懸樋」を通す。場所は、もちろん水道橋である。ちなみに、今では全部神田川だが、かつては関口より上流は神田上水、関口~飯田橋を江戸川、飯田橋から下流を神田川と呼んだ。

 文京区の本郷給水所公苑には、発掘された神田上水の石樋が復元・移築されている。石の樋は幹線用で、支線には木の樋が用いられた。お隣の東京都水道歴史館に行くと、木樋や水道を流れてきた水を溜めて汲み取るための「上水井戸」の実物も展示されている。


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  神田上水石樋
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蛇口をひねるとミネラルウォーター

 神田上水の水源は井の頭池。加えて、いくつかの補助水源があった。なかでも、質・量ともに優れ、単なる補助水源というよりは副水源と呼ぶにふさわしいのが善福寺の池だ。なかなか水が出なかったという頼朝の故事にまつわる遅の井は泉が涸れてしまい、今は地下水を汲み上げて流している。逆からみれば、地下水はまだまだ豊富だということ。善福寺川を1kmほど下った原寺分橋の下では、川底から湧き上がる湧水を見ることができる。

 善福寺上の池の南畔には、井荻のまちづくりの先達となった内田秀五郎の像が立つ。そのすぐ脇に、おとぎ話にでも出てきそうな六角形の可愛らしい建物。同じ建物は、遅の井の手前にもある。フェンスで区切られ、東京都水道局用地の表示。現役の水道用地下水取水井である。

 隣接する杉並浄水所は、汲み上げた地下水を薬品消毒するだけで上水道として供給している。配水量は年間約100万㎥。東京23区の使用水量の0.1%にも満たないものの、それでも家庭用に換算すると1万人分を超える。蛇口をひねるとミネラルウォーターがほとばしるとは、何とも贅沢ではないか。


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  杉並浄水所取水井
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玉川上水三景

 江戸が膨張するにつれ、やがて神田上水だけでは足りなくなる。そこで幕府は、多摩川の水を江戸に直接引き入れる一大プロジェクトを企てる。取水は多摩川上流の羽村。ここから四谷大木戸まで43km。標高差は92mというから、平均すると100mあたりわずか21㎝。しかも、どこからでも分水できるように、流れは尾根筋を選びながら進んでいく。この超難工事がわずか8か月で完成したとは、当時の技術水準の高さを物語って余りある。

 現在の玉川上水は、三多摩地域は開渠で流れるが、東京23区に入ると大部分が暗渠となる。そんな中で、笹塚駅の近くに3か所、玉川上水が姿を現す場所がある。

 西から、環七西側の約100mの区間。笹塚駅南西の約250mの区間。そして、笹塚駅前南の約200mの区間だ。3つの開渠区間はごく近接しているにもかかわらず、その景観は大きく異なる。かつての武蔵野の清流の姿を最もよく残しているのが笹塚駅南西部分。ただし、高いフェンスが川と岸辺を隔てている。環七西側は、川岸に濃い緑が続き沿岸風景に優れるものの、水は淀んできれいとはいい難い。笹塚駅南側は、前二者のような野趣味はなく、住宅地をのどかに流れる小川のイメージ。だが、親水性は最も優れる。微妙な地形の差がそれぞれの趣を紡ぎ出していると思うと、川が生きていることが手に取るように実感できる。


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  玉川上水(環七西側)
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  玉川上水(笹塚駅南西部)
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  玉川上水(笹塚駅南部)
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東京は節水都市

 東京23区の使用水量を給水人口で割ると、1人1日約340ℓ。400ℓを超える大阪市よりは少ないが、300ℓ前後の名古屋市や横浜市を上回り、265ℓの福岡市と比べると3割近くも多い。

 水道で使う水のうち約3割をトイレ用水が占める。東京に流入する膨大な昼間人口もトイレを使う。飲食店も多量に水を消費する。給水人口は夜間人口ベースだが、昼間人口で割った方が水使用の実態を知るには適しているとの説もある。試みに水使用量を昼間人口で割ってみると、東京23区は260ℓ。横浜市(324ℓ)、大阪市(305ℓ)、名古屋市(275ℓ)を下回り、節水都市のモデルとされる福岡市(237ℓ)に迫る数値となる。

 こんなデータもある。過去15年間で、東京23区の1人あたりの水使用量は14%減。これは全国平均(8%減)の2倍にのぼる。それやこれや考え合わすと、東京は節水の先進地といっていい。

 「湯水のように使う」との言葉があるように、水は天の贈り物と考えられてきた。いや、そうではない。水は貴重な資源だ。武家は石高割で、町民は間口割で水道料金を負担してきた江戸の昔から、東京には水の尊さがDNAとなって息づいている。

 「スカイツリーをにらんで、水道の水を上手に使って…」。山東京伝が現代にタイムスリップしてきたら、『通言総籬』をこう書き替えるかも知れない。