記事一覧

東京ズーランド 《 観ずる東京23区 その24 》

 《 観ずる東京23区 その24 》


          東京ズーランド




                       東京23区研究所 所長 池田利道




橋を守る霊獣

 1807(文化4)年8月19日。12年前の大喧嘩以降中止されていた深川八幡のお祭がようやく復活。待ちに待った江戸っ子たちがドッと繰り出した。その重さで永代橋が崩落する。死者は1,000人とも1,500人とも。財政難によるメンテナンス不足が背景にあったと聞くと、今も背筋が寒くなる。

 人の重みはともかくとして、火事や地震で橋はしばしば破損した。わが国の道路の起点である日本橋も例外ではない。現在の日本橋は1911(明治44)年に竣工したもので、何と19代目。「もうこれ以上架け替えなくてもいい橋を」との願いから、石造二連アーチ橋が採用される。それでも不安だったのだろう。橋に守護神を置いた。

 親柱の上で睨みをきかす、東京市の紋章(現在の都の紋章)をもった獅子。照明灯の支柱の上にも、四方を見渡す獅子がいる。南詰に設けられた一段低い場所から橋の側面を見ると、アーチ頂点にも獅子の顔。合わせて32頭。関東大震災も東京大空襲も撥ね退けた、まさに鉄壁のガード網である。


麒麟のヒレ

 獅子が守りのシンボルなら、麒麟は未来向けての飛躍の象徴。橋の中央にたたずむ4頭の麒麟には、そんな思いが込められている。ただの麒麟ではない。背中に羽がある。

 昨年大ヒットした映画『麒麟の翼』。物語の主要なモチーフとなったのはこの麒麟だ。しかし、実はこれ、翼ではない。では何かというとヒレ。背中にあるから背びれ。『麒麟の背びれ』では何とも様にならないが、事実だから仕方ない。

 日本橋の装飾の総合プロデューサーは津田信夫。獅子と麒麟の製作には、彫刻家の岡崎雪聲・渡辺長男父子があたった。当初は、彼らも翼をイメージしたようである。だが、橋の上という制約から翼ではバランスが取れず、やむなくヒレに落ち着いたという。


ファイル 49-1.jpg

  日本橋の麒麟
   ※画像はクリックで拡大


あのライオンは今

 東京ズーランドがいきなり想像上の動物からかい? そういわれそうだ。獅子はライオンが原型と言い訳けしても、狛犬がモデルと聞けば、イヌ科だかネコ科だか分からなくなってくる。

 いや、日本橋には正真正銘のライオンがいる。三越本館正面玄関前の2頭のライオン像。三越百貨店の基礎を築いた日比翁助が、欧米視察時に目にしたロンドン・トラファルガー広場にあるネルソン提督像のライオンを摸したものと伝えられている。

 「百獣の王」ライオン像は、「百貨店の長」を自負する三越の象徴となり、以後各地の支店の玄関を飾っていく。ところで、クローズした店のライオン像はどうなるのだろうか。東京でも、2009年に池袋店が、昨年は新宿店が閉店した。

 新宿店のライオン像は行方を知らないが、池袋店のライオンは向島の三囲神社の境内で余生を過ごしている。三囲の文字は三井を□で守っていることから、三井家は三囲神社を守護社としてきた。今も三井グループには、三囲会なる組織がある。そんな縁がもとになり、池袋三越のライオン像は三囲神社に安住の地を得た。


ファイル 49-2.jpg
  三囲神社のライオン
   ※画像はクリックで拡大


神社は動物天国

 三囲神社はお稲荷さん。だからキツネもいる。「コンコンさん」の愛称で親しまれているちょっとたれ目のキツネ像も、越後屋が寄進したもの。台座に「向店」とあるから、支店が奉納したのだろう。

 お稲荷さんのキツネ以外にも、大黒様のネズミ、天神様のウシ、毘沙門様のトラ、弁天様のヘビ、春日明神のシカなど、神社は動物と繋がりが深い。毘沙門様は正しくはお寺だが、七福神のひとつに入っているくらいだから、固いことはいわず先に進もう。

 動物園に無くてはならない存在がサル。おサルさんのいない動物園なんて、動物園じゃあない。

 サルは、神様の世界では山王様のお使い。エスカレーターに乗って参拝する赤坂山王日枝神社の神門には、夫婦一対の神猿像が鎮座する。本殿の両脇にも夫婦のサル。狛犬ならぬ狛猿である。


ファイル 49-3.jpg
  赤坂日枝神社のサル
   ※画像はクリックで拡大


住宅街にゾウがいた!

 上野動物園の年間入園者数は年々ジリジリと下がり続け、2010年には268万人にまで落ち込んだ。それが、翌2011年には471万人へとV字回復する。もちろん、リーリー、シンシン効果だ。

 上野動物園の入園者がピークを示すのは、1974年の764万人。1973年も737万を数えた。これまた理由は、72年10月のカンカン、ランランの来日。パンダは、押しも押されもせぬ動物園最大の人気者である。

 パンダがまだ日本にやって来る前、動物園一の人気を誇ったのはゾウ。太平洋戦争が終わった時、ゾウは名古屋の東山動物園にしかいなかった。「ゾウを見たい」。そんな子どもたちの願いを乗せて、象列車が走る。アニメ『ぞう列車がやってきた』は、今も各地で上映され続けいている。

 もっとも、まちなかのゾウは必ずしも珍しくはない。インド生まれの仏教にとってゾウは身近な存在であり、麻耶夫人がお釈迦様を身ごもったとき夢に見たのも、普賢菩薩が乗っているのもゾウ。だからお寺に行けば、結構ゾウに出合うことができる。

 そんな中でもイチオシは、品川区青物横丁にある真了寺のゾウ。鳥居のような山門の足元を、2頭のゾウが支える。宗教的にデフォルメされていないリアルなゾウが、突如住宅街の中に現れる。頭がクラクラしそうになるのは、熱中症のせいではない。


ファイル 49-4.jpg
  真了寺のゾウ
   ※画像はクリックで拡大


平和の尊さを問いかけるツル

 トリは鳥で締めよう。日比谷公園には色んな鳥がいる。ペリカン、カモメ、そしてツル。ツルの噴水が作られたのは1905(明治38)年。装飾用噴水としては、日本で3番目に古い。製作は津田信夫と岡崎雪聲。この名前どこかで聞いた。そう、日本橋の麒麟のコンビだ。

 今は石造の台座に銅製のツルが乗るが、かつては台座も銅でできていた。戦時中の金属供出によって、台座は「お国のために」と鋳つぶされてしまう。だが、ツルだけは残った。まさに奇跡。地元の人たちが隠していたらしい。

 戦争が終わった時、動物園から動物たちが消えていた。その訳は、『かわいそうなぞう』のお話しでご存知のとおり。世の中が乱れると、真っ先に弱いものがしわ寄せを受ける。動物はその代表といっていい。そう考えると、まちなかに動物が溢れる姿は、何よりも平和を象徴している。

 68回目の終戦の日。日比谷公園のツルは、空に向かって真っすぐに、平和の尊さを吹き上げていた。


ファイル 49-5.jpg
  日比谷公園ツルの噴水
   ※画像はクリックで拡大