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東京で富士登山 《 観ずる東京23区 その21 》

 《 観ずる東京23区 その21 》


       東京で富士登山





                        東京23区研究所 所長 池田利道






ミニチュアの富士山

 「祝世界遺産登録」とばかりに、富士山に登る人が急増している。何ごとにつけ熱しやすく冷めやすい日本人のこと、いずれ落ち着くだろうと鷹揚に構えているだけでは済まないらしい。自然の許容範囲を超えて人間が押し掛けると、取り返しのつかない環境破壊が進んでしまう。例えばトイレ。「キジうち」、「お花摘み」などと洒落た言葉で大目にみていられたのは、登る人が限られていたからだ。

 身の回りの八百万(やおよろず)に神性を感じ、これらとの共生を旨とする心が日本人の原点にある。とりわけ富士には強い信仰心が抱かれた。江戸時代には、富士信仰の集まりである富士講が、「江戸八百八講」といわれるほどの一大ブームを巻き起こす。
 信者のあこがれは富士への巡礼登山。しかし、誰もが簡単に登れる山ではない。それならばと、ミニチュアの富士山が造られた。今も東京のあちこちに残る富士塚である。


信者総出で築いたお山

 江戸で最初の富士塚は、高田の馬場のそばに住む植木職人の藤四郎が発願し、1779(安永8)年に水稲荷神社の境内に築いた高田富士。力自慢の男衆はもとより、老若男女がこぞって作業に携わったという。か弱きお嬢様も紙に包んで土を運んだとか。まさに信仰のなせる業だ。

 場所は早稲田大学の9号館あたり。ところが、昭和30年代末に早稲田大学が拡張された際、塚は壊されてしまう。今の高田富士は、この時甘泉園の隣接地に移転した水稲荷神社が移築したもの。時代が時代だったとはいえ、貴重な民俗遺産を壊して校舎を建てたとは、学問の府にしてはいささか寂しい。

 高田富士が一般開放されるのは年に1回。7月の海の日とその前日だけ。普段は鉄の門に遮られ、近づくこともできない。特別に許しを得て、中に入らせて頂いた。ざっと7~8mはありそうだ。塚を築いた信者の思いに改めて感服する。

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  高田富士
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 高田富士に登れなかった代わりにと、甘泉園に立ち寄る。「ヘビに注意!」の看板。都心にヘビがいるとは。八百万信者の末裔は、なんだか嬉しくなった。


登れる富士塚を探して

 東京には、かつての姿をそのまま残す富士塚も多い。なかでも、台東区の下谷坂本富士、豊島区の長崎富士、練馬区の江古田富士は、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

 入谷の小野照崎神社本殿横にある下谷坂本富士は、1828(文政11)年築造。高さ約5m、直径約16mの塚全体が、黒朴石と呼ばれる富士山の熔岩で覆われている。毎年6月30日と7月1日の山開きに、登拝が一般開放される。

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  下谷坂本富士
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 豊島区高松の長崎富士は1862(文久2)年の築造。高さは約8m。直径は約21m。下谷坂本富士よりひとまわり大きい。表面が黒朴で覆われているのは下谷坂本富士と同じだが、それ以上にこのお山、姿がいい。神社そのものが無住となっているようで、富士塚も金網に囲まれている。

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  長崎富士
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 江古田富士は、江古田駅から徒歩1分の江古田浅間神社本殿裏にある。築造は1839(天保10)年とも、文化年間(19世紀初め)とも。高さ約8m、直径約30mの大きな富士塚だ。鬱蒼とした木立に囲まれているためよくは見えないが、迫力は十分に伝わってくる。一般開放は、1月1日~3日、7月1日、9月第2土・日の年3回。9月に改めて訪れることにしよう。

 下町にも富士塚はある。南砂町駅近くの富賀岡八幡宮本殿裏にあるのが砂町富士。やや小ぶりながら、吉田口、大宮口、須走口の3つの登山口あり、宝永山を摸した小さな高まりありとなかなか凝った造りである。「登るな!危険!」の立札を前に、やはり登拝は断念せざるを得ない。

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  砂町富士
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 誰でも、いつでも登れる富士塚は千駄ヶ谷にあった。鳩森八幡神社の境内に立つ千駄ヶ谷富士。1789(寛政元)年の築造で、東京に残る富士塚では最も古い。前面の池を渡って登山道へ。山腹の洞窟に安置されている像は、富士講のカリスマ食(じき)行(ぎょう)身(み)禄(ろく)だろうか。山頂には小さな祠。最後の登りは結構きつかった。高さ6mとのことながら、それなりの達成感がある。

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  千駄ヶ谷富士
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富士は眺めも世界遺産

 千ヶ谷富士の頂に立っても、神社の緑の向こうにはビルしか見えない。しかし、かつては富士山が見えたはずだ。頂上から富士を望むのが、富士塚の定番だからである。

 東京23区の最高峰は、自然の山では港区愛宕山の26m。人造の山では、戸山公園内にある箱根山の45m。標高最高地点は23区の西の端、練馬区関町南4丁目の58m。いずれにしても、マクロにみればほぼ真っ平ら。ちょっと高い所なら、どこからでも富士を眺めることができた。

 富士山の世界遺産登録は、自然遺産ではなく文化遺産。仰ぎ見る富士の眺めは、文化の重要な要素だ。三保松原も最後の最後で逆転登録となった。

 このニュースに日本中が湧き返っていたちょうど同じころ。本シリーズの第6回でも紹介した日暮里富士見坂の眺望ライン上に建設中のマンションが8階を超え、坂から富士の姿が消えた。マンション完成の暁には、「富士の眺めを独り占め!」とでも銘打って、富士ビューの部屋がプレミアム価格で売り出されることだろう。いや、またそのビューラインに新しいマンションが建つのかも知れない。万民共有の財産をひとたび個人に帰してしまうと、後はもう歯止めは利かない。