《 観ずる東京23区 その15 》
バラと都電
東京23区研究所 所長 池田利道
英国仕込みの洋風庭園
東京には、財閥の名を冠した庭園が少なくない。文京区湯島の旧岩崎邸庭園。両国国技館と隣り合う旧安田庭園。飛鳥山公園の中には旧渋沢庭園。同じ北区西ケ原の旧古河庭園。それぞれがそれぞれの魅力に富むが、なかでも旧古河庭園は東京有数のバラの名所として知られている。
旧古河庭園は、洋館、洋風庭園、日本庭園の3つの要素で構成される。このうち、洋館と洋風庭園を設計したのは、鹿鳴館やニコライ堂などを手がけ、わが国近代建築の基礎を築いたジョサイア・コンドル。コンドルは生粋のロンドンっ子だったと聞くと、洋風庭園のテーマにバラを選んだのも納得できる。
斜面をうまく活用したテラス式のバラ園をはじめ、庭内に咲き誇るバラは180株。数は決して多くないものの、大輪の花は見応えにあふれる。英国貴族の邸宅を模した、石造りの洋館とのハーモニーも見事だ。バラは春と秋の年2回楽しめる。春は春の、秋には秋の趣が庭園を埋め尽くす。
旧古河庭園のバラ
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13,000株のバラ
旧古河庭園の最寄り駅は、JR京浜東北線の上中里か地下鉄南北線の西ケ原。どちらからでもひと駅の王子で、都電荒川線に乗り換える。目指すのは三ノ輪方面。「ちんちん」という懐かしい音を響かせながら、電車はほんの数分で荒川区に入る。
荒川区は、区の中央を横断する都電荒川線を「みどり軸」と位置づけ、1985年から都電沿線のバラ植栽事業をスタートさせた。今では、区内総延長4.8kmの8割を超える約4kmの区間に13,000株を超えるバラが植えられ、季節になると色とりどりの花がまちを彩っている。
バラの管理には区民の力が欠かせない。区の呼びかけに応えて2003年に発足した「荒川バラの会」は、自主的にバラを世話するボランティアグループだ。荒川遊園地前停留場から遊園地入口までの道路脇に続くバラの花壇も、「荒川バラの会」の活動成果である。
華麗というイメージが浮かぶバラの花。都電との組合せは、いささか不思議にも思えるが、カッタンコットンとのんびり下町を走る都電は、沿線のバラの花と絶妙な調和を醸し出している。
意外なところに都電の名残り
東京で最初の路面電車が開通するのは1903(明治36)年。当初は民営3社(のち1社に合併)による私鉄だったが、1911(明治44)年に旧東京市が買収して「市電(後の都電)」となる。その後も路線網の拡大が進み、関東大震災前の1919(大正8)年には1日の乗客数が100万人を超える。「東京の名物満員電車 いつまで待っても乗れやしねえ 乗るにゃ喧嘩腰いのちがけ」と唄われたのはこの頃のことだ。ちなみに、大正以降も民営会社による路面電車の開業は続く。荒川線は、明治末~昭和の初めにかけて王子電気軌道が敷設し、1942(昭和17)年に市電に統合されたものである。
都電が最盛期を迎えるのは昭和30年代の半ば。路線網は41系統、213kmに及んだ。しかし、モータリゼーションが進むにつれて、都電は邪魔者扱いされるようになる。こうして1972年までに、荒川線を除くすべての路線が廃止されていく。1日の乗客数は、1960年の164万人に対し、1965年125万人、1970年37万人。1975年には8万8千人にまで急減する。
とはいっても、都電の名残りは様々なところに残されている。例えば、線路の幅を指すゲージ。世界標準は1,435㎜だが、JRは新幹線を除き1,067㎜の狭軌を採用している。このため、東京の私鉄や地下鉄も狭軌が多い。ところが、京王本線のゲージは1,372㎜。これは都電と同じ幅。かつて伊勢丹前をターミナルとしていた京王本線が、都電との相互乗り入れを目指した名残りである。
新宿区役所横の遊歩道「四季の路」は一見旧河川敷のようだが、幾何学的なS字カーブがどこか人為的だ。それもそのはずで、ここは都電の軌道跡である。亀戸駅南の「亀戸緑道公園」も都電敷の跡。竪川を渡る「竪川人道橋」は、かつては都電専用橋だった。橋の路面に置かれたレールのモニュメントに、今は気づく人も少ない。
竪川人道橋レールのモニュメント
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ちんちん電車かLRTか
時代は下って21世紀。コンパクトシティへとまちづくりの舵を切り直したわが国に、欧米からLRT(ライトレール)なるものが直輸入される。東京でも、荒川線の北千住延伸、池袋駅とサンシャインシティを結ぶ路線、亀戸駅と新木場駅を繋ぐルートなど、LRTの導入に熱い視線が注がれている。
LRTを直訳すると中量軌道交通。だがわが国では、定時性、速達性、快適性、安全性、さらには低床に代表される福祉性等の概念がつけ加わった次世代都市内交通との意味合いが濃い。
では、LRTと路面電車はどこが違うのか。荒川線の定員は、大型車両では100人近くにのぼる。ラッシュ時には2~5分おきに運転され、定時性にも優れる。バスと比べるとはるかに快適で、安全でもある。福祉性は、交通体系ではなく車輌の問題だ。
となると、路面電車とLRTを分けるのは速さになる。12.2kmを53分かけて走る荒川線の平均時速は14㎞/h。最高速度は40km/h。わが国のLRTの先駆的導入事例とされる富山市のポートラムの最高速度は60km/h(設計速度は70km/h)。なるほど速ければ便利だ。しかし、コンパクトシティへの発想
の転換とは、ひたすらに利便性を追い求めることへの反省ではなかったのか。
「ちんちん」というベルは、運転士と車掌との合図だった。ワンマンカーになった今も、この音を守り続けているのはゆとり。だから愛され続けている。「もっとまちを楽しむゆとりを持とうよ」。ちんちん電車はそういいながら、バラの中を走り去っていった。
都電とバラ
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