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照姫から新選組まで  《 観ずる東京23区 その14 》

《 観ずる東京23区 その14 》
 

 

        照姫から新選組まで
 

 

                  東京23区研究所 所長 池田利道
 

 

大きかった豊島

 郵便番号を書かず、住所も東京都を抜いていきなり千代田区から書き始めても、おそらく手紙は届く。だが、中央区なら届かない。政令指定都市の行政区にも中央区があるからだ。その数、東京都中央区を含めて10か所。北区はもっと多くて12か所。港区も大阪市と名古屋市にある。

 ちなみに、区名で一番多いのは南区の13か所。他にも、西区が12か所、東区が9か所、中区が6か所。方位なら反対の声があがりにくいのかも知れないが、いささか個性に欠ける。

 東京23区の区名は、他の大都市と比べるとオリジナリティに富む。文京や大田など新しく造語したものもあれば、品川、板橋、目黒などのように歴史の重みをもった由緒正しき区名も多い。なかでも飛びきり由緒が正しいのは、葛飾と豊島だろう。

 かつて葛飾は、東京だけでなく埼玉県から千葉県、さらには茨城県の一部にまでまたがる広大なエリアの名称だった。今でも埼玉県には北葛飾郡があるし、2005年に沼南町が柏市に合併されるまでは、千葉県にも東葛飾郡があった。

 豊島も負けてはいない。現在の豊島区の面積は東京23区の2%に過ぎないが、かつては23区のおよそ3分の1が豊島と呼ばれていた。町名としての豊島が、豊島区ではなく北区にあるのはこの名残りである。豊島は今よりはるかに大きかったのだ。


照姫哀歌

 中世、豊島一帯を領有していたのは豊島氏。その最後の当主が豊島勘解由左衛門尉泰経。居城の石神井城は、石神井公園の三宝池寺と石神井川に挟まれた小高い台地の上にあった。

 時は戦国時代の初め。豊島泰経は、江戸に勢力を伸ばしてきた大田道灌と正面衝突する。熾烈な戦いを制したのは道灌。石神井城落城を前に、泰経は黄金の鞍を置いた愛馬と共に三宝寺池に身を投じる。泰経の次女照姫も、父の後を追うように三宝寺池に身を沈めた。史実は諸説を唱えるが、心優しい豊島の人々は、悲しき『照姫伝説』を代々語り続けていく。

 絶好の行楽日和に恵まれた4月28日。照姫伝説をモチーフにした「照姫まつり」が、練馬区の石神井公園を舞台に華やかに繰り広げられた。最大の見どころは、照姫、泰経、奥方の3台の輿を中心に、総勢100名が絢爛豪華な室町衣装に身を包み、商店街を練り歩く時代行列。今年で26回目を迎えた、練馬の春の名物イベントである。


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  照姫まつり
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 三宝寺池ほとりの丘の上には、照姫を祀ったと伝えられる姫塚と泰経を祀る殿塚が、木立の中にひっそりと眠っている。多くの人出で賑わう「照姫まつり」の当日でも、ここまで足を運ぶ人はほとんどいない。


新選組参上!

 同じ4月28日のJR板橋駅前。板橋駅は、名前は板橋ながら、板橋区、豊島区、北区の区境に位置し、東口は北区滝野川にある。駅の前には永倉新八が建立した新選組局長近藤勇の墓。鳥羽伏見の戦いで敗走し、甲府勝沼でも官軍に敗れた近藤は、千葉流山で捕えられ、1868(慶応4)年4月25日、板橋駅の近くで斬首される。

 この史実に因む「滝野川新選組まつり」は、新選組装束をまとった隊士たちによる市中見回りあり、殺陣パフォーマンスあり。ともかく楽しいお祭りだ。各地から集まった出演者たちの楽しそうな顔が、祭りの醍醐味を何よりも雄弁に物語っている。新選組パフォーマーの面々は、全国の新選組まつりを股にかけて参加するらしい。


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  滝野川新選組まつり 隊士市中見回り
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  滝野川新選組まつり 殺陣パフォーマンス
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 判官びいきの日本人は、美しく散った悲劇の主人公に弱い。照姫にも新選組にも、同じ傾向が見て取れる。女性パフォーマーが多いのもそのせいに違いない。


祭りを支える裏方たち

 2週間前の4月13日には、裏浅草の小松橋通りを「江戸吉原おいらん道中」が彩っていた。花魁もまた、華やかさの陰に悲しみを秘める。

 「江戸吉原おいらん道中」を中心となって担うのは、小松橋通り沿いの「浅草観音うら 一葉桜振興会」。2006年に設立されたこの新しい商店街は、小松橋通りに八重桜(一葉桜)を植樹し、桜の季節に「おいらん道中」を始めたことかがきっかけとなって誕生する。


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  江戸吉原おいらん道中
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 「滝野川新選組まつり」の主催者は、地元の5つの商店街の連合体。今や全区あげてのイベントとなった「照姫まつり」も、底辺を支えているのはやはり地元の商店街である。

 商店街はなぜ必要か? 買物の便利さだけを考えると、答はなかなか難しい。商店街がなくなっても、スーパーやコンビニがあればさほど困ることはない。だが商店街は、地域のコミュニティを支えるという、目には見えない大きな役割を果たしている。祭りだけではない。平日の昼間、大地震に襲われたら・・・。郊外住宅地で頼りになる男手は、商店街くらいにしかいない。防犯の面でもまた然り。街路灯ひとつとってもそうだろう。東日本大震災の後、商店街の灯の有難さを身にしみて感じた。

 シャッター通りが全国で深刻化している今日、東京にはまだまだ元気な商店街が数多く残る。それは、経済合理主義だけでは説明がつかない、東京の大きな利点である。そう考えると、祭りが一層楽しくなった。