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公園はじめて物語  《 観ずる東京23区 その12 》

《 観ずる東京23区 その12 》


          公園はじめて物語

 


              東京23区研究所 所長 池田利道

 
 

葉桜の季節

 「太い川がながれている。川に沿って葉桜の土手が長く道をのべている。こまかい雨が川面にも桜の葉にも土手の砂利にも音もなく降りかかっている。ときどき川のほうから微かに風を吹き上げてくるので、雨と葉っぱは煽られて斜になるが、すぐ又まっすぐになる。」

 幸田文『おとうと』の冒頭である。声に出して読みたい日本語だ。

 向島で生まれ育ち、浅草から市電に乗って麹町の女子学院に通った幸田文は、毎朝隅田川の土手を下った。今同じ場所に立って葉桜を見上げると、菜種梅雨の空にスカイツリーが烟っていた。


吉宗と桜

 江戸時代、花見の名所は上野寛永寺。ところが、将軍家の菩提寺だから何かと格式が高い。歌や踊りはご法度。ナマグサ(魚)もダメ。夕方になると、門が閉められ追い出されたという。そこで八代将軍徳川吉宗が、隅田川の堤に桜の樹を植え、庶民に行楽の場を提供する。「げに一刻も千金」と詠われた墨堤の桜の始まりである。

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  墨堤の葉桜
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 吉宗が植えたもうひとつの桜の名所が北区王子の飛鳥山。王子の名は、紀州熊野の若一王子権現に由来する。故郷ゆかりの地に愛着をもった吉宗は、享保5(1720)年から翌年にかけて、一面の松林だった飛鳥山に1,270本の桜を植樹し、広く江戸市民に開放した。併せて、音無川沿いに水茶屋の営業を許可したことから、飛鳥山は江戸随一の花見のメッカとなる。王子では石神井川を音無川と呼ぶのも、紀州の音無川になぞらえた吉宗による命名だとされる。

 上野と異なり、飛鳥山では飲めや歌えのバカ騒ぎが許された。仮装パフォーマンスに趣向を凝らす目立ちたがり屋もいたようだ。「まだ勝負は五分と五分ぞ」、「肝心の六部が来ません」で落ちる『花見の仇討』は、そんな飛鳥山の花見を舞台にしている。

 飛鳥山は、葉桜の季節になっても桜を楽しむことができる。ちょうどその頃、約200本の八重桜が咲き乱れるからだ。統一した美しさが続くソメイヨシノに対し、八重桜はそれぞれの樹々が個性を主張し合う。その様は、まさに絢爛と呼ぶにふさわしい。

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  飛鳥山公園 八重桜のトンネル
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140年かけて15倍

 飛鳥山公園は、わが国最初の公園のひとつでもある。明治6(1873)年の太政官布告に基づき、東京に浅草、上野、芝、深川、飛鳥山の5つの公園が指定される。「公園」という言葉自体が、この太政官布告で初めて使われたという。

 指定された5つの公園の広さは、合わせて52万坪(172ha)。現在の東京23区の都市公園面積はおよそ2,580ha。近代都市建設がスタートを切って以降、140年かけて15倍にしか増えていない。

 公園の整備水準を測る指標として、1人あたりの都市公園面積がよく使われる。都市公園法による標準は10㎡以上、市街地では5㎡以上だが、東京23区では2.9㎡。海上公園や児童遊園などを総動員した総公園面積(ただし、自然公園は除く)でも4.3㎡にとどまる。東京23区と19の政令指定都市を合わせた20大都市の平均は都市公園が6.5㎡、総公園が8.1㎡だから、他の大都市と比べても、東京の公園は半分程度に過ぎない。

 では、面積(総面積から山林や湖沼を差し引いた可住面積)あたりではどうだろうか。都市公園は、20大都市の平均3.6%に対し、東京23区は4.2%。総公園では4.4%対6.3%で、他の大都市より1.5倍近く多い。データによって、東京の公園は少なくなったり多くなったりする。統計のマジックといえるだろう。


世界最初の公園

 「140年で15倍」にはもう少し注釈が要る。いずれも寺社の境内をそっくりそのまま公園に指定したという、いささか乱暴な施策だった。公園と境内が分離された今日、5公園の面積自体が大きく縮小している。

 浅草公園は影も形もない。公園を7つの区に分けた6番目に由来する「六区」の名が、わずかに残るだけだ。深川公園は4分の1ほどに縮まり、地元の人たちが憩う近隣公園に姿を変えた。芝公園は、芝公園1~4丁目の全部が公園だったというイメージだし、上野公園も今よりはるかに大きかった。

 そんな中で、飛鳥山公園だけは面積が増えている。園内には、3つの博物館や渋沢栄一邸跡の旧渋沢庭園など見どころが多く、四季を通じて訪れる人が絶えない。

 とはいっても、飛鳥山はやっぱり桜。特に八重桜は種類が豊富だ。大輪の花をつける福禄寿、濃い紅色が鮮やかな関山、雄しべが象の鼻のような形をした普賢象、緑の花が目を引く鬱金、淡い緑からピンクへと色を変える御衣黄などなど。個人的な好みなら、青淵文庫の前に咲く松月がいい。薄紅色の花からは、穏やかな気品が漂ってくる。

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  飛鳥山公園 青淵文庫前の「松月」
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 日本最初の5つの公園のうち、飛鳥山はそもそも庶民のための遊園として整備された。王子権現に寄進されたのは、その後のことである。ヨーロッパで都市公園の整備が始まるのは19世紀の半ば以降。だとすれば、飛鳥山は世界最初の公園だということもできる。

 元禄バブルの後始末に追われ、増税と倹約を世に強いた吉宗。その吉宗が桜の樹を植えたのは、庶民の不満のガス抜きだけではない。彼の事績を紡ぎ合わせていけば、人の心を理解できるリーダーの姿が浮かび上がってくる。それは、今の政治家に一番欠けているものなのかも知れない。