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桜三月散歩道 《 観ずる東京23区 その11 》

《 観ずる東京23区 その11 》


       桜三月散歩道


              東京23区研究所 所長 池田利道


桜前線異常あり

 恥ずかしながら、フォーク世代ど真ん中である。『桜三月散歩道』は、1973年にリリースされた井上陽水のアルバム『氷の世界』の収録曲。社会にも、人にも、自分自身にも、斜に構えて意気がる流行り病に罹っていた当時の若者の心に、「だって人が狂い始めるのは、だって狂った桜が散るのは三月」というフレーズはズシンと響いた。改めて思えば、狂えるほどに無心になれることを探し求めていたのかも知れない。

 今、狂い始めているのは地球環境。徐々に春の訪れを告げていく沈丁花とこぶしと桜の花が、今年は一度に咲いた。早すぎる桜前線の到来に、各地の桜祭りはテンヤワンヤの騒ぎらしい。


予期せず生まれた桜のオアシス

 音楽の主流が、フォークソングからニューミュージックへと移りつつあった1970年代末、文京区に住み、毎日播磨坂を上り、下った。そんなセンチメンタリズムを別にしても、播磨坂は東京指折りの桜並木だ。460mの緩やかな坂道に植えられた桜の樹は約150本。道路の両側と中央分離帯の3連並木が、文字どおり桜のトンネルを作り出す。

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   播磨坂桜並木
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 播磨坂は、別名「環三通り」と呼ばれる。環七、環八の環三である。春日通りと千川通りの間に、幅40mの道路が突如現れ、突如終わる謎を解くカギは、この別名の方にある。

 戦災復興計画の中で、東京23区には8つの環状幹線街路が都市計画決定される。環七はその7番目。環八は8番目。当然1~6もある。ごく大雑把にいうと、環一は内堀通り。環二は外堀通り。ただし、環二には環状部分の他に直線部分がある。この直線部分が、近年ようやく工事が始まった「マッカーサー道路」だ。環四は、外苑西通りや不忍通りなどだが、全体はまだ未完成。外苑西通りも、不忍通りも、途中で行き止まりになるのはそのためだ。環五の明治通り、環六の山手通りは、比較的分かりやすい。

 ひとつ飛ばした環三はほとんどが未整備で、道路の体をなしているのは、青山1丁目から六本木トンネルを経て芝公園に至る区間だけ。とはいっても、都市計画決定されているから区画整理を行うと道路用地を確保しなければならない。播磨坂は、こうして生まれた環三の断片である。いや断片であるからこそ交通量が少なく、中央分離帯に遊歩道を設け、桜並木を思う存分に楽しめるオアシス空間が生み出された。


ソメイヨシノ発祥の地

 播磨坂の桜は、八重も混じるが大部分がソメイヨシノ。全国的にみても、桜の名所の8割がソメイヨシノといわれる。桜といえばソメイヨシノが通り相場だ。

 ソメイヨシノの「ソメイ」は地名。かつて植木の一大生産地であった染井村に由来する。駒込駅の北西部、今の住居表示では豊島区駒込3・6・7丁目付近である。エドヒガンとオオシマザクラの交配種であるソメイヨシノが、同じDNAを持つクローンであることは良く知られている。一方その起源は、自然交雑説、人工交配説など諸説が入り乱れる。だが、クローンを育て、広めたのが染井の植木職人たちであったことは間違いない。

 ちなみに、ソメイヨシノの「ヨシノ」は、当初のブランド名が「吉野桜」であったため。奈良県吉野のヤマザクラとの混同を避けるため、明治になってから名称が改められた。
 駒込駅の周辺には、ソメイヨシノが華麗な姿を競う散策スポットが数多い。駅前の「染井吉野桜記念公園」、旧日本興業銀行跡地を活用した「染井よしの桜の里公園」、染井を代表する植木職人丹羽家の邸宅跡である「門と蔵のある広場」。なかでも圧巻は、岡倉天心や高村光太郎・智恵子らが眠る染井霊園だろう。大きく枝を張った桜の樹は、ソメイヨシノ発祥の地にふさわしい。

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   染井霊園の桜
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浮かれますか? 狂いますか?

 東京都内の街路樹で一番多いのはイチョウ。2位は近年人気が高騰しているハナミズキ。国道や都道はイチョウが1位。市町村道ではハナミズキが1位。対して、区道の1位は桜。区民は、桜がことのほか好きなのだろうか。

 公園を覆う面としての桜。並木が連なる線としての桜。どんなシチュエーションにあっても、日本人は桜が大好きだ。孤高に立つ一本桜もまた格別。駒込六義園のしだれ桜は、東京の「点の桜」を代表する。樹齢は60~70年と古木とはいえないが、その妖艶な美しさは人々を魅して止まない。

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   六義園しだれ桜
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 古来、桜には魔物が住むという。今年の桜の下は、アベノミクスに浮かれる人々で例年にない賑わいらしい。円安、株高の好材料はあるものの、庶民の実感にはまだ結びついていない。にもかかわらず、浮かれ騒ぐ人々の姿は、桜の魔性に取り付かれたかのようにも見える。

 ひろさちや氏は、狂うとは常識のくびきを超え、自由な発想に立つことだと説く。だとすれば、浮かれるのと狂うのとでは根本的に異なる。浮かれるだけでは未来は生まれない。

 漠たる思いを残したままに、桜前線はやがて東日本大震災の被災地へと北上していく。