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東京節分巡り 《 観ずる東京23区 その8 》

《 観ずる東京23区 その8 》


           東京節分巡り


      
                  東京23区研究所 所長 池田利道


恵方巻は21世紀食?

 節分といえば、豆まきに恵方巻。博報堂生活総合研究所の調査によると、2010年の節分に「豆まきをした」人は44%。「恵方巻を食べた」人はこれより多い48%。およそ2軒に1軒で、恵方巻が節分の食卓を賑わわせた(いや、恵方巻だから“黙らせた”というべきか)。

 恵方巻はコンビニが流行らせた新しい風習とされる。火つけ役となったのはセブンイレブン。だが、当初は地域限定商品で、全国販売が始まるのは1998年になってからのこと。恵方巻は、ここから急速に普及していく。ならば恵方巻は、21世紀食といえるのかも知れない。

 もっとも、父が船場の問屋に勤めていたわが家では、少なくとも50年以上前から恵方巻を食べていた。ただし、呼び名は「丸かぶり寿司」。いかにも関西らしいストレートな表現であった。


だるま、猫、僧兵

 今年の節分は2月3日の日曜日。天気も上々だ。東京23区の節分巡りに出かけよう。

 最初に訪ねたのは足立区の西新井大師。弘法大師の創建による東京屈指の名刹である。お目当ては、昭和29(1954)年から続く「だるま供養」。光明殿の庭に積まれただるまの山に、山伏姿の修験者が火を点けると、厳かな読教とともにだるま供養が始まる。

 紙だからよく燃える。時に、中の空気がパーンと弾ける。修験者が刀で正面と四隅と邪を切り払い、だるま供養はクライマックスを迎える。新しいだるまは、境内や門前で売られていた。

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 西新井大師「だるま供養」
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 午後からの豆まきには白鵬関が登場するらしい。後ろ髪を引かれながら、新宿区西落合の自性院へ。秘仏「猫地蔵」が、節分の日に限って開帳されるから見逃せない。

 文明9(1477)年、豊島泰経と江古田ヶ原で雌雄を決した大田道灌は、道に迷い大ピンチを迎える。その時、どこからともなく現れた一匹の黒猫。導かれるままに自性院に辿り着いた道灌は、まさに乾坤一擲。石神井城を攻め落とす大勝利を得る。この恩に報いるため、道灌が奉納したと伝えられるのが初代猫地蔵。その後、江戸時代に奉納されたといわれる2代目猫地蔵。

 初代の方は、善男善女がご利益を求めて撫でさすったため、石の塊になってしまっているが、初代を摸したとされる2代目ははっきりと猫の顔を残す。

 自性院の節分会は、七福神のお練りや子どもたちが主役の豆まきも楽しい。

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 自性院「七福神お練り」
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 駆け足で訪ねた中野坂上の宝仙寺では、僧兵行列が節分会を彩る。八幡太郎義家が開基したと伝えられる同寺で、僧兵が用いていた遺物が発見されたことに始まるという。現代の僧兵はみな優しい顔だが、平安や鎌倉時代の昔には、いかつい顔をした僧兵が中野辺り
を闊歩していたのだろうか。

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 宝仙寺「僧兵行列」
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お寺とコンビニ、どっちが多い?

 3つのお寺は、期せずして弘法大師信仰と縁が深い。西新井大師は、武蔵国八十八か所の1番札所。宝仙寺は、江戸御府内八十八か所の12番札所。自性院は、豊島八十八か所の24番札所である。

 豊島八十八か所の“豊島”は、豊島区ではなく旧豊島郡。北区、板橋区、練馬区を中心に、荒川、豊島、中野、新宿の一部に八十八か寺が分布する。さして広いともいえないエリアに、由緒正しき真言宗の寺院が88もあることは、東京にいかにお寺が多いかを物語っている。

 2009年の「経済センサス」によると、東京23区の仏教系宗教施設の数は2,225。もちろん、その大部分がお寺である。ちなみに、八百屋は1,962店、肉屋は1,167店、魚屋は965店。お寺は、八百屋とほぼ同じ数だけあることになる。

 では、お寺とコンビニはどっちが多い? 全国の仏教系宗教施設数は約63,300。対するコンビニは約43,700店で、お寺の勝ち。ただし、東京23区には4,000を超えるコンビニがあり、ダブルスコアでコンビニの勝ちとなる。東京は、コンビニ王国なのだ。〈注〉

〈注〉コンビニの数は、2007年の「商業統計調査」による。


進化と衰退

 新雅史氏の『商店街はなぜ滅びるのか』は、社会・経済・政治の視点から商店街の盛衰を説き起こした力作である。新氏は、コンビニが商店街の息の根を止めたと語り、その理由を「小売商の近代家族化」に帰する。否定するつもりはない。しかし、いささかうがち過ぎの面も禁じ得ない。

 コンビニが急速に普及するのは1990年代。日本フランチャイズチェーン協会の統計をみると、1988年~1997年の10年間で何と2.9倍の増加を示している。何が歴史の歯車を動かしたのだろうか。

 1987年10月、セブンイレブンが東京電力の料金収納を始める。入金をバーコード管理するというコロンブスの卵的発想は瞬く間に広まり、「料金支払いはコンビニで」が当たり前となる。そしてコンビニは、物販施設からコミュニティ施設へと進化していく。

 かなり不純な動機からスタートした中心市街地活性化の議論は、数多くの「俄か商店街論者」を生み出した。彼らは、「コンビニは商店街の敵だ!」とヒステリックに叫ぶ。しかし、進化の努力を怠る者が消え去らざるを得ないのは、世の常以外の何物でもない。

 宝仙寺の豆まきが終わるころ、まちは黄昏色に染まり始めていた。「ほんに今夜は節分か」。コンビニで恵方巻でも買って帰るとしよう。