《 観ずる東京23区 その7 》
四百三十五年目の楽市楽座
東京23区研究所 所長 池田利道
日本をぶっ壊す
伊賀市に住む友人は、信長が大嫌いだ。天正伊賀の乱で、伊賀の国は文字どおり焦土と化した。
信長は毀誉褒貶が激しい。狂気を思わせる残忍さが悪評を生む一方で、古い日本をぶち壊し、新しい社会秩序をプロデュースしたことは、信長ならではの功績である。
特定商工業者の特権を廃止し、市場税を免じて、誰もが自由に商売できる「楽市楽座」を広めたことも、信長の事績とされる。
楽市楽座は、信長が始めたものではない。その本当の狙いは、公家や寺社に属していた商業利権を大名が奪い取ることにあったとする説もある。もとより信長は、自治などはなから認めていない。だが、時代のうねりを逸早く捉え、それを天下統一に向けた経済戦略にまで高めた信長の炯眼は、やはり、さすがというしかない。
脈々と続く楽市の伝統
戦国時代まっただ中の天正6(1578)年、東京でも楽市が始まる。当時関東を支配していた小田原の北条氏政が、吉良氏の城下町だった世田谷新宿(にいじゅく)で楽市の開設を許可した文書が、世田谷郷土資料館に残されている。ちなみに、世田谷新宿とは今の世田谷線上町駅あたり。世田谷区役所付近にあった元宿に対し、新しく造られたので新宿と呼ばれた。
世田谷楽市は月6回、1と6がつく日に開かれた。それだけ人も集まり、需要も大きかったのだろう。江戸時代に入ると楽市は廃止されるが、その伝統は12月15日に開かれる歳の市となって残り続ける。歳の市といっても、近郷農村のニーズに応える農具市の性格が強かったらしい。
明治7(1874)年からは1月15日にも市が立つようになり、さらに明治中期以降は、12月と1月の15・16両日の年4回に増える。名前も、いつしか「ボロ市」と呼ばれるようになる。
1月15日、その世田谷ボロ市を訪れた。普段なら700以上の露店が連なり、1日で約20万人が繰り出すというが、前日の大雪の影響か店はいくぶん少ないようだ。とはいえ、肩が触れ合うほどの人出。名物の代官餅売場には、長蛇の列ができていた。
それにつけても足場が悪い。スケート場の中にいるようで、尻もちをつく人もいる。東京でも有数の歴史を持つイベントだ。最初にみんなで雪かきをしてから始めて欲しかった。
いざ、鎌倉!
インターネットで世田谷ボロ市を検索すると、「(楽市が開かれた)当時の世田谷は、江戸と小田原を結ぶ相州街道の重要地点として栄えていた」という記事が次々と出てくる。しかし、相州街道は世田谷を通っていないし、当時の江戸は大田道灌時代の輝きを失った一寒村にすぎなかった。世田谷新宿という言葉から、江戸時代のような宿場町の賑わいをイメージするのも正しくない。
世田谷新宿に楽市が開かれたのは、ここが鎌倉と北関東を結ぶ鎌倉街道中道の中継拠点だったからである。鎌倉幕府は、「いざ鎌倉」に備えて鎌倉に馳せ参じる街道と、馬を乗り換える伝馬の宿駅整備に力を入れた。このインフラが、戦国時代になると物資の集積地としての機能を発揮する。世田谷城は、「世田谷御所」とも呼ばれる広大な城だったという。現在の世田谷城址公園はごく一部で、本丸は豪徳寺付近にあったらしい。ここからも、富の集中をうかがい知ることができるだろう。
豪徳寺といえば、井伊直孝と猫の故事に基づく、招き猫発祥の地のひとつとされる。ご当地キャラで有名な彦根市の「ひこにゃん」(“にゃん”というから猫なのだろう)も、この故事を踏まえているとのこと。招猫殿の脇にズラリと並ぶ招(まね)福(ぎ)猫子(ねこ)は、ユーモラスというべきか。それとも不気味というべきか。
楽市今昔
東京には、もうひとつボロ市がある。練馬区関のボロ市だ。こちらは、日蓮宗本立寺で催されるお会式の関連行事。世田谷とはルーツが異なるものの、ボロ市、世田谷、練馬には共通項が存在する。
答は農業。東京23区の農家数のうち、練馬と世田谷の両区で5割を超える。今はもう農業区とはいえないにしても、DNAはしっかりと受け継がれている。
江戸は徹底したリサイクル社会で、溶けたロウソクの蝋を集める商売まであった。衣類のリサイクルは当たり前。直線裁ちの和服は、何度でも仕立て直しができた。ボロ切れになっても商品価値を持っていた。ボロをワラと一緒に編み込んだ草鞋(わらじ)は、丈夫で高く売れたから、冬の農家の副業に無くてはならない材料だったのだ。ボロ市の名は、ボロを売る店が並んだことに由来する。
現代のボロ市は、古着屋もあるにはあるが、食料品や新品の衣類、日用雑貨、装身具、玩具などの店が多い。むしろ、楽市楽座の伝統を今風に伝えているのはフリーマーケットの方だろう。「楽」とは、規制のない自由な状態を指す。楽市を英訳するとまさにフリーマーケット。最近はプロの業者も増えてきているが、主役は「たんすのこやし」たち。動機は「もったいない」の精神だから、ボロ市にも通じる。
売り手と買い手が商売の垣根を超えて交流するフリマの賑わいに、信長も苦笑いかも知れない。