観ずる東京23区 その4
たき火の季節
東京23区研究所 所長 池田利道
冬の準備
たき火をすると罪になる? 庭の落ち葉を集めて焼き芋を作るくらい大目に見てくれてもよさそうなものだが、やれゴミの野焼きだ、ダイオキシンだと喧しい。たき火をしていたら、ご近所が騒いでパトカーが来たという笑えない話もあると聞く。何とも世知辛い世の中になったものである。
子どものころ、よくたき火をした。漫然と落ち葉を燃やしたのではない。当時の主要な暖房手段だった炭火を熾すうえで欠かせない、消し炭を作るという目的があった。だから、たき火と聞けば初冬の風景が想い浮かぶ。たき火は、冬の準備であった。今さらながら考えてみれば、落ち葉が舞うのは晩秋から初冬の季節に他ならない。
かきねの かきねの まがりかど
〽かきねの かきねの まがりかど たき火だ たき火だ おちばたき
この歌の故郷は中野区。新井薬師前の駅を下りてジグザグと角を曲がりながら数分。立派な竹垣が続く大きな家がある。中野区教育委員会の案内板によると、「たき火」の歌を作詞した巽聖歌はこの近くに住み、朝な夕なの散歩の途上で詩情を湧かせたという。
木賃アパートのメッカとされる中野区にあって、この辺りは立派な垣根を備えたお屋敷が多い。周囲を見渡すと、何十年か前にタイムスリップしたような、やさしい空間が広がっていた。
それにしても、「かきねのまがりかど」が竹垣だったとは…。生垣だとばかり想っていた。詩が生み出す独創的な世界観の魔力を改めて感じ直す。
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「洗練」を支えるもの
新井薬師は、駅を挟んで南に眼病治癒にご利益あらたかな梅照院(新井薬師寺)。北に東洋大学創始者の井上円了が創設した哲学堂。両メジャーが並び立つ、東京の街歩き愛好者には欠かすことのできないスポットである。
そしてもう一つ。哲学堂の北に隣接する野方配水塔も、この地を語るうえで忘れてはならない。
一部に異論もあるものの、わが国の「近代上下水道の父」と呼ばれる中島鋭治博士の設計によると伝えられるこの配水塔は、「水道タンク」の愛称で地元に親しまれてきた。「双子のタンク」といわれた板橋区の大谷口配水塔が取り壊された今も、中野区の災害用給水槽としての役割を果たし続けている。その立ち姿は、何とも美しい。
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大谷口配水塔は、かつてのデザインを摸したポンプ塔として蘇っている。とはいえ、木に竹を接いだ結果からか、いささかマンガチックな感が否めない。対する野方配水塔は、あくまでもエレガント。じっと見詰めていると、洗練された姿の裏に、垣根の曲がり角と共通する「優しさ」が見えてくる。ここにあるのも、まぎれもない一つの世界観だ。いかに技術を駆使しても、CADでは表現できないものがある。
(大谷口配水塔の現在の姿は、http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/03/20l32300.htm)。
さざんか さざんか さいたみち
〽さざんか さざんか さいたみち たき火だ たき火だ おちばたき
聖歌の時代には、竹垣の向いにサザンカの花が咲いていたのだろう。残念ながら、今その姿は消えた。庭木としてポピュラーなサザンカだが、猫の額の庭では似合わない。サザンカが消えたのは、時の流れのなせる業なのかも知れない。
ちなみに中野区の花はツツジ。東京23区の約半分にあたる11の区がツツジあるいはサツキを区の花としている。なるほど、ツツジなら猫の額にもよく似合う。
そんな中で、サザンカをシンボルフラワーに指定している区がある。答えは江東区。ちょっと意外という方は、亀戸中央公園を訪れて欲しい。ここは、東京有数のサザンカの名所である。
園内には約50種類、4,000本のサザンカの木。サザンカというと中低木と思っていたが、5mを超えるような大木もある。50種類もあれば、早咲きも遅咲きも多種多様。11月の初めから3月頃までサザンカの花を楽しむことができる。
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北風がぴいぷう吹いたり、しもやけがかゆかったり、木枯らしが寒かったり。「たき火」の詩は真冬のイメージが強い。これも作者が創り出したマジックワールドだ。亀戸中央公園ならぬ街なかのサザンカが咲き誇るのは、11月の下旬から12月の前半にかけて。やっぱり「たき火」は初冬の情景であることが、ここにも種明かしされている。
たき火がご法度なら、「たき火」の歌も子どもたちに教えることができないのだろうか。だが、先人たちが何をなすにも重視した大きな世界観。それだけは、絶えることなく伝え続けていきたい。哲学堂の小路を歩きながら、こう考えた。