新連載 《観ずる東京23区 その1》
池上線とお会式
東京23区研究所 所長 池田利道
池上線90歳
池上線が90歳を迎えた。建設工事は、今では終点の蒲田の方から始まり、蒲田-池上間が開業したのが1922(大正11)年10月6日。関東大震災が東京を襲う1年前のことだった。
関東大震災を契機に、東京には民族大移動が起きる。被災した都心から、郊外への移住が進んだのだ。この動きに歩を合わすように、東京の私鉄網も整備されていく。小田急、西武、東急、京急、京王、京成、東武の各線は、昭和の初めまでにほぼ現在の路線網が完成する。
関東大震災前に開業した池上線は、東京の私鉄の中ではパイオニアの仲間に入る。現在営業している東急の路線の中では最も古いし、小田急線も西武新宿線も井の頭線も後輩である。
池上線は、なぜこんなに早く建設されたのか? この謎を解くキーワードは「池上」。池上本門寺への参拝客輸送という需要があったからだ。
日蓮上人入滅の地
池上駅から参道商店街を抜け、呑川を渡ると本門寺の総門。加藤清正が寄進したと伝えられる96段の石段を登り境内に着く。
1282(弘安5)年10月13日、日蓮上人はこの地で没する。病を得、常陸の国に湯治に向かう途中のことだった。上人の死を悼み、地元の豪族池上宗仲は、法華経の文字数と同じ69,384坪の土地を寺領として寄進する。池上本門寺開基の縁起である。
お会式は、日蓮上人の命日を供養する法要で、ハイライトは命日の前夜(お逮夜)に行われる「万灯練供養(万灯行列)」。早々と場所取りをしている人もいるが、せっかく来たのだからしばらく境内を散策しよう。
仁王門の手前を五重塔の方に入ると、墓域が広がる。熊本藩細川家、米沢藩上杉家の墓所をはじめ、七代目松本幸四郎、幸田露伴、眠狂四郎の市川雷蔵などなど。お墓フリークには垂涎の場所だ。
墓域の奥には、裸で腕を組んだ男性の胸像。力道山の墓だ。街頭テレビの前に国民を釘づけにした昭和のスーパーヒーローは、今池上に静かに眠る。
万灯練供養はエレクトリカルパレードだ!
秋の陽がつるべ落としに暮れる頃、万灯行列が始まる。万灯行列は光と音のパレードだ。
光はもちろん万灯。全国各地から集まった講中(信徒の集まり)が、それぞれに意匠を競う。五重塔を摸したものあり、行灯型あり、提灯を連ねたものあり。その数、百数十基。すべてに共通しているのは、紙で作った造花で飾られていること。日蓮上人が亡くなった時、秋だというのに桜が季節外れの花を咲かせたという故事に因む。
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音の方は、鉦や笛も混じるが、圧倒するのは太鼓。お題目を唱えながら練り歩く信徒たちが、一斉に打ち鳴らす団扇太鼓の音だ。
行列を先導するのは纏。えっ、纏? 仏教の法要にいささかミスマッチな纏の由来には諸説がある。山号である長榮山の「榮」の字が火除けの意味をもつことから、江戸の火消し衆が参拝する折に始めたという説。明治時代に浅草下谷の講中が、消防団の火消し装束に纏を振って景気をつけたのが始まりだという説。起源はともあれ、纏は今やお会式に欠かせない存在である。
纏を振るには結構力が要るが、鮮やかに纏を操る女性も交じる。「いよっ、粋だね!」 思わず声が飛んだ。
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東京のローカル線
お会式の日には臨時列車が出る池上線も、その後は再び普段の姿に戻る。
池上線(10.9km)と輸送延長がほぼ似通った私鉄他路線との輸送量を比べると(以下、輸送延長、輸送量ともに東京都内分のみの数値)、東急田園都市線(11.8km)の6分の1、東武東上線(10.4km)の5分の1、京急本線(11.8km)の4分の1。山手線と接続していない東急大井町線(10.4km)と比べても半分に満たない。
地上4階の高さにある五反田駅で、山の手線との連絡階段にエスカレーターが設置されたのは、ようやく今年に入ってからのこと。池上線は、東京のローカル線である。
ちなみに、五反田駅が地上4階にあるのは、山の手線を越えて白金・高輪方面に延伸する計画が、かつてあったことの名残り。延伸計画は実現しないまま、五反田駅の不便さだけが残ってしまった。
時代は移り、東京の私鉄は地下鉄との相互乗り入れが進み、都心直通電車を次々と実現させていく。「あってもなくてもどうでもいい」と唄われた目蒲線も、2000年に南北線・都営三田線との相互乗り入れを果たす。
そんな弟分の活躍を一向気にする風もなく、3両編成の池上線は、今日もトコトコ走り続ける。