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コンパクト化する東京 《国勢調査雑感 その6》

コンパクト化する東京

-1200万人の昼間人口に潜む意外な事実-

         東京23区研究所 所長 池田利道


23区昼夜間人口比率低下の怪

 東京23区の昼間人口は1,170万人。日本の人口の9.1%に相当する。東京23区の面積は全国土の0.16%に過ぎないから、600分の1の土地に総人口の11人に1人がひしめき合っていることになる。

 夜間人口100人に対する昼間人口の割合を「昼夜間人口比率」という。2010年の東京23区の昼夜間人口比率は130.9。2005年の135.1から4ポイント以上低下した。一見すると、東京への集中度が低下しているようにみえる。

 だが、昼間人口の実数は3.8%増えている。2000年~2005年の1.4%増と比べると、むしろ増加の傾向が強まっている。昼夜間人口比率が下がっているのは、それ以上に夜間人口が増えているからに他ならない。

 統計指標のマジックに惑わされると、思わぬ落とし穴にはまり込んでしまう。東京の昼夜間人口比率の動向は、その典型といえるだろう。


“群雄割拠”始まる?

 昼間人口の動向を区別にみると、増えている所と減っている所がある。過去5年間で昼間人口が増えたのは17区、減ったのが6区。どこが増えて、どこが減っているのか。昼夜間人口比率と組み合わせると、1つの傾向が浮かび上がってくる。

 東京23区には、昼夜間人口比率が200を超える「超中心区」が5区ある。150~200の「中心区」が2区。100~150の「サブ中心区」が5区。残る11区は、昼夜間人口比率が100を下回る「郊外区」である。

 超中心5区は、そのすべてで昼間人口が減少している。中心2区は台東区が減、文京区が増と明暗が分かれるが、文京区の増加率は昼間人口が増えた17区中の下から2番目に止まる。対して、サブ中心5区と郊外11区はいずれも昼間人口が増加。なかでも、足立、江東、豊島、練馬、世田谷の各区は増加率が10%を超える。ただし、これらの中でサブ中心区に入る豊島区と江東区は、夜間人口の急増(それぞれ2位、5位)が昼間人口の増加を後押ししている面も否定できない。

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※画像はクリックで拡大。

 東京の昼間人口は、都心3区を頂点とした富士山型の一極集中構造をもつ。この構造がそう簡単に変わるものではないにせよ、昼間人口が都心で減少し、周辺郊外区で増えていることは、奥深い変化の胎動を感じさせるデータである。


仕事の「地産地消」化

 昼間人口は、「夜間人口+流入人口-流出人口」で求められる。東京で始まり出した昼間人口の地殻変動の実態に迫るには、流入人口、流出人口という要素にまで踏み込む必要がありそうだ。

 東京23区の過去5年間の流入人口の増加率は▲5.5%。江東区を除くすべての区で流入人口が減少した。流入人口が減ることは、働く場所としての求心力が低下することを意味する。結果、仕事を求めて流出する人が増える。これが天秤の法則だ。ところが、23区では流出人口も4.3%減っている。例外は都心3区だが、これは夜間人口が急増し、区外で働く人が都心ライフの魅力を求めて移り住んできた結果であり、少し意味が違う。

 流入人口も流出人口も減り、区境を越えて通勤する人が少なくなった。つまり、仕事に関する各区内での自己完結度が高まった。言葉を換えれば、仕事の「地産地消」が進んだことになる。


「花見酒」が未来を開く

 流入人口、流出人口がともに減少しているのは、高齢化が進み働く人が少なくなったからだろうという反論も聞こえてきそうだ。だが、東京23区昼間就業者数(昼間人口のうちの就業者の数)は、この5年間で0.8%しか減っていない。これでは、流出入人口の両面にわたる減少を説明することは不可能だ。やはり、人々が地元で働く傾向が強まったと考えざるを得ない。

 そうはいっても、地元就業の主要な受け皿だった町工場も、小売店や飲食店も、おしなべて元気を失いつつある。2005年と2010年では産業分類の見直しがあったため単純な比較はできないものの、メジャーな産業はいずれも昼間就業者が減っている。そうした中で、はっきりと就業者が増えているのは、情報通信業と医療・福祉の両分野だ。

 情報通信業は、パソコン1台あればどこでも仕事ができそうなイメージとは裏腹に、都心への集中志向が強い業種である。これに対して医療・福祉、なかでも福祉は、地域密着型産業の典型だ。今日、SOHOタイプのニューコミュニティビジネスが、この分野から数多く生まれ出している。

 落語の「長屋の花見」の一席。1960年代初めに『花見酒の経済』を上梓した笠信太郎氏は、底の浅い当時の日本経済を「花見酒」と揶揄した。しかし、改めて考えてみると、この噺は貨幣の意味を鋭くとらえた経済訓話なのだ。お金は貯め込んでいては雀の涙ほどの利子しか生まないが、ぐるぐると流通すると額面の何倍もの価値を創出する。米屋が魚を買い、魚屋が野菜を買い、八百屋が肉を買い、肉屋が酒を買い、酒屋が米を買い…。商店街は花見酒の経済で成立していた。これを現代用語では、コミュニティビジネスと呼ぶ。

 コンパクトシティの形成が、まちづくりの大きな課題となっている。考えてみれば、昔のまちはコンパクトシティそのものだった。その現代版アレンジが、今東京で始まり出している。